第1話

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 少年がそう呟いたけれど、少女はそれを聞いていなかったようで、さらにこう続けた。 「何でそう、あんたって節操がないの。次から次へと獲物を食い散らかして!」 「いや、節操がないわけじゃないよ。俺にだって、好みってのがあるしさ」  だんだん、少年の声色が冴えないものになっていく。どうやら、この少女には頭が上がらないといった様子である。 「とにかく、記憶操作してから帰るわよ。この人間に変なこと言いふらされたら困るもの」  記憶操作?  私がぼんやりとしたままの頭でその言葉の意味を考える。そして、一瞬遅れてからぞっとした。  何をされるのか解らないからこそ、不安になる。 「記憶操作……しなくちゃ駄目かな」  しかし、少年は笑いながら言う。「俺、そのお兄さんの味、気に入ったんだよね」 「何言ってんの! あんた、バカ?」 「頼むよ」 「駄目。早くなさい」 「ちぇー」  少年はやがてあきらめたように笑うと、その手を私に伸ばした。私は慌てて立ち上がり、すぐにその場から離れようとしたものの、彼の手からは逃げられなかった。 「ごめん」  少年の吐息が私の耳元で感じられた。  私が何か言う前に、彼が小さく言った。まるで、少女には内緒だ、と言わんばかりの声で。 「また、会いにくるから」  会いたくない、と言いたかった。でも、すぐに気が遠くなって、それどころではなくなっていたのだ。  ずるずるとその場に崩れ落ち、そして気がついたら。 「……あれ」  私は困惑して辺りを見回していた。  持っていたスーパーのビニール袋はいつの間にか地面に落ちていて、自分がなぜこんな場所に座り込んでいるのか思い出せない。  何かあったのだろうか?  どんなに考えてみても、仕事の帰りにこの道を通った、ということくらいしか覚えていないのだ。  私はやがて汚れたズボンを軽く叩くと、そのままアパートに向かって歩き出した。  このときの私は、何もかも忘れていたのだ。  遠からず、また問題の少年に会うことになろうとは知らなかった。
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