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老婆の眼をじっと見ていたせいなのか、煙草をくわえていることに気がつかなかった。
「煙草、吸われるんですか?」
「まあね。始めたのは最近なんだけどね、ババ友っていうのかね、彼らに、もう歳なんだし気分転換に煙草でも吸ってみたら、なんて勧められたの。それで家の近くに煙草屋があったから一箱適当に買ったんだよ。そしたら、もう」
適当。
まさに新聞も適当に読んでいる雰囲気だった。
この人のスタンスなのだ。
俺は話の続きを促した。
「それで、どうなったんです?」
「体が生き生きしちゃってその日から煙草の奴隷だわ。でもあんたにはまだ早いかもねえ。いくつ?」
「二十三です」
「へえ、ふうん。じゃあそんなでもないか」
「吸えるか吸えないかで言ったら吸えます。多分」
「吸ったことないの?」
「多分ですけど」
老婆が新しい煙草を箱から取り出して俺にくれた。
「勤務中だし、ちょっとまずいです」
「一口だけでいいよ。ほら、火」
仕方なく煙草をくわえて首を前に出した。
幸い時間は終業時間の六分前で老婆以外誰もいない。
ライターの炎がゆらゆらと左右に踊っている。
まるで煙草の会への歓迎をされているようだ。
煙を吸い込み、煙草を口から離して煙を吐く。
この作業を無意識のうちに繰り返していると死に対する考察にも落ち着きを持って取り組めると思うようになった。
老婆も同じことを考えているのだろうか。
死とは何か。
そもそも俺の年齢で死ぬ期待をして良いのだろうか。
来世で生まれ変わるとしたら何になるのか。
待て。
俺は生きたいのか。
あの死の欲動はどこに行った。
煙草のせいで気が動転している。
ああ、だめだ。
「気持ちいいだろう?落ち着いてるんだ。自分の心に従順であれ。かっこつけちゃうと反感を買いそうだけど結局はそうすれば進む道の一歩を踏み出せる。あたしはそう信じるよ」と老婆は俺に手を差し出してきた。
俺はその手にそっと触れた。
しわくちゃな手。
この世界に落ち着いている。
確かにそうだ。
煙草という世界中に点在しているものを経験して安心している。
「もうすこしだけ生きてみようかな、俺」
老婆は笑った。
俺の顔の筋肉も自然とほぐれていく。
歩く足音が近づいてきた。
振り向くとむくみ気味の顔をした店長が俺の横に立って老婆に、今日は閉店です、と言った。
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