第1章

2/4
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
第五話。 物語の挿話として完全な失敗であった第四話から一転して、この第五話、情愛にみちたとてもいい話になっている。 池田次郎を襲った耀司は彼のパソコンの件の記事データを削除してゆくが、次郎のような記者が、他にデータを取っておいてあるとは考えなかったのだろうか。この仕事は彼の飯のタネ。最も大切なデータである。仮に彼に何かあったところで記事は残る。記者は彼一人ではない。彼が死んだとしても編集長はそれを引き継いで記事にするであろう。だとすれば、耀司はまったく意味のない馬鹿をやっただけである。 耀司はさらに長野へ行き、山本心療内科に忍び込み、佳音のカルテを焼却してしまう。しかし、彼のやっていることは片手落ち。あれだけの大事件であり、佳音の秘密も、誰かが知っている可能性があるとは考えなかったのだろうか(実際ドラマは佳音の担任が彼女の母親から相談を受けていたという設定になっている)。 つまり彼の視野狭窄な凶行は、自分自身と佳音がいたずらに窮地に陥るきっかけをまた作ってしまったにすぎないわけである。佳音を守っているつもりが、彼女をさらに追い詰めてしまった。何をやっているんだか。 またも大事件発生。そのため佳音はマスコミの取材攻勢にさらされることになり、この事実は日頃から佳音に嫌みを言いつづけていた彼女の大家にも多大な迷惑を及ぼし、佳音はアパートを出てゆかねばならない羽目に陥る。 これは世情に疎い殉也にも伝わることになる。 佳音に逢いに来た殉也に彼女が村八分、つまり近隣の住民からの疎外によって心に受けた傷を語る場面、その佳音をいたわる殉也の心の広さが描かれるこの一連の場面が、作品そのものを醜悪な犯罪ドラマに堕落することから救っている。彼には罪深きものの苦しみがわかるし、佳音の苦しみも判る。人を偏見・色眼鏡で見ることがない。心が広いのだ。 殉也が教会で働く青年で、イエスの教えについてそれなりに深い信仰があることも、物語の精神性を気高いものにする一助になっているのはこの失敗作にとって数少ない救いのひとつであった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!