第1章

3/4
前へ
/4ページ
次へ
次郎は今回の事件のことを示談にすることを承知する代わりに、佳音に山本心療内科の診察を受けてくれと言う。それが(示談の)条件であった。 どんな過去であれ、いつかは向かい合わねばならない時が来る。ぼく自身はそのように思っている。どんなに触れたくないトラウマであってもだ。 佳音の主治医を演じた山本圭は名優として知られたひとですが、このひとの落ちつきのあるオーソドックスな演技は、この第五話よりものちの話で重要な役割を果たすようになってくる。 耀司の犯行の一年前のクリスマス。佳音の身に何が起きたのか。運動会のフォト。自分のすぐ隣で父が笑っている。その父の笑顔にいままた戦慄する佳音。 父は普段、模範的な人格者であったのに、夜になるとまるで別人格に化けてしまったかのような、鬼畜そのものの男に豹変した。それは性的虐待というより佳音には淫行そのものであったろう。 妹をあたかも神聖な少女として、心の宝のように純粋に愛していた潔癖な耀司にとって、その事実に気づいた時、心を制御していた理性、箍(たが)のようなものが完全に外れてしまった。ほんとうは親思いのいい少年であったはずであるが、この忌まわしい事実を前にして制御不能の怒りを父に対して感じたことであろう。そしていたいけな妹のことを、身体を張って守ろうとするあまり、思いあまって両親の殺害に及んでしまった(けれども世の中には父親の、娘への性的虐待・淫行などざらであり、よくあるどころか、日常茶飯事的に行われていることなのだ。これで何を驚けと言うのかぼくにはわからないし、何が衝撃なのかの意味性が薄れてしまっている昨今である) 話を戻せば、一度心の箍が外れてしまった彼には、自分の内面の、妹を守らんと思うあまりに道を外れた凶行に及ぶという、極端な防衛本能を、自らの理性で自制するという能力を喪失してしまっている。 妹を忌まわしい醜聞から守りたい。あの記憶が甦ったら佳音の心は毀れてしまうだろう。そう純粋に思いつめるあまり、短絡的に池田次郎を襲うという、犯行に及んでしまったのだ。自制心の欠如とも言えるが、彼の立場になれば同情の余地は大いにあり、彼の生きざまには純粋な兄妹愛に端を発する悲劇性がにじみ出ている。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加