第1章

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殉也が留守の間、留守番の佳音はピアノの楽譜台に置かれた楽譜を手に取った。そしてたどたどしい指遣いでピアノを弾きはじめた(実際の堀北真希はピアノのレッスンに通っていた経験者であって、かなり弾ける人である。ぼくは個人的に自転車の旅で彼女が立ち寄ったフランスのアルザス地方の、ノートルダム大聖堂のパイプオルガンを弾いた時の堀北真希の奏でる美しい調べを忘れることができない。彼女は自分が弾けることを声高に言わない。たぶん自分よりうまい人がたくさんいることを知っているから言わないのだろう)。そんな佳音の様子にいつしか帰ってきた殉也は彼女にピアノの手ほどきをしてあげるのだ。 ここから始まる一連の場面はほんとうにやさしくうつくしい、癒しの穏やかさに充ちている。 北川くんももちろんいいがそれ以上に堀北真希の柔和な表情がたまらなくいい。 藤堂さんから佳音のケータイに直接連絡があった。刑期の延長の話と、刑期を短縮するのに必要な示談金の話をされた。藤堂さんはこうも言われた。「あいつに逢いに来てやって下さい」。刑務官の立場を超えたやさしい言葉である。このセリフ、ちょっとほろりとさせられました。 示談金について殉也は言う。佳音ちゃんは聖花のために懸命に働いてくれた。その分のお給料を前倒しすれば、示談金は捻出できるんじゃないか。そう提案してくれたのだ。 「何で、そこまで親切なんですか。」 「何でって、だって佳音ちゃんのお兄ちゃんじゃん?」 翌日、佳音は耀司に面会するために長野の刑務所に行った。 あの晩のことを尋ねる佳音。だが耀司はほんとうのことを言わない。 耀司は確かに佳音を守ろうと懸命な気持ちのとき、狂暴にもなるし、兇悪な犯罪者にもなる。だが、普段の彼はほんとうに慈愛に満ちた妹思いのやさしい兄なのである。 「俺のことはもう忘れろよ。この世にもういないもんだと思ってくれ。いい人そうじゃないか。あのひと。」ほとんど近親相姦に近い感情を佳音に対して抱いていた耀司だったが、あの殉也の寝たきりの恋人を見た時、殉也への認識はがらっと変わり、兄らしい寛容な気持ちが芽生えたのだろう。
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