第1章

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 夜のあの、独特の湿っぽさについて話そうか  夜が深まると路面や木の葉の表面に水滴が付着するだろう。あれが一体どこから来るのか知っているかい。気温の変化によって空気中の水分が凝結したものではなくて、あれはすべてとある男の精液だよ。彼は日中ではスーツを着た真面目な会社員だが、日が暮れて夜になるとその衣を脱ぎ捨てて裸体になる。そしてやおらとうつ伏せになって外中を匍匐するんだ。彼の性器は地面や壁、階段、ガラス戸、フェンス、樹木、花弁と葉、と摩擦することでエレクトし、あふれた液汁が通過したすべてのものを湿らせる。その残汁をぼくらは夜露と呼んでいる。  ぼくが彼と出会ったのは、バイト帰りの夜のことだ。口にしたはいいが誰にも届かなかった言葉を拾い集めるバイトを終え、冷えた指先を吐息で温めながら夜道を歩いていると、曲がり角で彼とばったり出会った。その光景はまるで大型のナメクジが這っているようでもあった。ただしその速度はナメクジよりも数段速く、気味の悪さもかなりのものだ。初めて見掛けたときは、目前の出来事がうまく飲み込めず、ただただ唖然としたものだ。二度目の邂逅の際には、幾分落ち着いて状況に対応することができ、三度目には接触を図ろうと家垣を這い進む彼を追いかけたものの、あまりの速度に追い付けず断念した。四度目も同様に結果は実らず、五度目の遭遇を前にぼくは罠を仕掛けることを思い付き、彼がいつも物凄いスピードで通過していく路地の手前にエロ本を広げて置いておいた。その作戦が功を奏し、その夜も途轍もない速度で街中を滑走していた彼が、道端に置かれていたエロ本に気を取られて失速した隙にぼくは彼の元まで全速力で走った。せっかく拾ったエロ本を奪われると思ったのか、彼は本を庇うようにして胸の下にしまい込み、駈けよってきたぼくを警戒する目付きで見上げて口を開いた。 「なんだ君は、こんな夜中に出歩いて不用心だぞ! 最近は変な輩も多いんだ! 男であっても深夜の外出は控えるべきだ!」 「すみません、でもどうしてもあなたにお聞きしたいことがあって」 「え、私に? なんだ藪から棒に。まぁいい、一体なんだ?」 「あなたはどうして、ええと、そう! 夜な夜な街中を匍匐しているんですか? しかも全裸で」
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