第1章

3/6
前へ
/6ページ
次へ
座っている女に釘付けだからだ。 年令は20代半ば位だろうか。 左ひじをテーブルについたまま、時おり煙草をふかしては窓の外を見つめている。 店が混んでいるのに、横の席にバックを置いていてもお構いなしだ。 その後ろ姿が色っぽくもあり、妙に切なくも見えてくる。期待値は上がっていくばかりだ。 おや? 何気なく見まわすと、喫煙席の男たちの多くは、自分が吹かした煙草の煙に隠れたつもりで、視線を女に向けているじゃないか。 なるほどまもなく12時50分だというのに、席を立つ人間が少ないと思っていたらそういうことか。 俺は妙に納得しながら、小さく嫉妬(や)いた。 女はスマホをいじる訳でもなければ、コンパクトで化粧のほころびを確認する訳でもない。 ただ外を、別に神谷町でなくても構わないはずの外の眺めを見つめている。 『ビーナスの後ろ姿』 『背を向けたモナリザ』 もしもそんな光景を目にすれば、欲情を駆り立てられずにいられなくなるのが男である。 今、目の前の女の 『承知している自信』 『淑女を装った油断』 は、そんな男たちの欲望を腹の底へと益々宿らさせているのだ。 男たちが行きずりの好奇心に時を惜しんでいると、女が席を立った。 バックを手に、どうやら向かう先はトイレの様だ。 野獣にもなりきれない神谷町の未完熟な男たちの横を、尻にぴったりとデニムを食い込ませ、ボックスステップのように歩く女にとって、勝負は初めからついていた。 やはり背は高い。  長い髪をアップにしている。 さほどの美人でなく“中の上”位だったことが、俺にはありがたかった。 別に女の顔が好みでなかったわけではないが、 この上は1分でも早く席を立って店を出てやることが、もともと女には興味なんかなかったと、女にも他の客達にも見せつけてやれるせめてもの手立てであって、これは実に痛快に思えた。 まったく幾つになっても俺は幼い。 店を出ると、善良な市民を冷ややかに見下ろすケムール人のような、東京タワーの上半身1/3と目が合った。 さりとて、さしたる感動はない。 月に一度の神谷町詣でとはいえ、どうやら 昼飯帰りですれ違う連中同様、俺にとって東京タワーは、今や電信柱の一つ位にしか意識されていないらしい。 そして、東京タワー以上に存在を忘れ去られていそうな古い生花店の前を通り過ぎて、俺は、その並びに店を構える白亜の生花店へと向かった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加