第1章

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それにしても、わずか15mたらずの間に生花店が2軒。 この辺りは、浅草の田原町界隈ほど寺町でも ないはずなのだが・・。 どうやら花というものを、仏事にしか連想させられない俺の哀れな常識の方が問題の様である。考えてみれば、花位、安易なくせに必要不可欠な“お祝いもの”“お捧げもの”“お飾りもの”はないのだから。 「お母様、菊がお嫌いだったんですよね」 何度か行っているせいか、溶鉱炉のような女主人は俺の要望を覚えてくれていて、バケツの中に幾つか入れられている仏花の中から、比較的派手目な色合いのものを見繕ってくれた。 「じゃ、こちらあたりどうですか」 「結構ですね」 だいたい俺は、生花店とかデパ地下なんてさっさと用を済ませて出てきたい方だから、女主人の顔を立てる粋な客人を装いながら、その実、女主人の計らいには大いに助かっている。 と、粋な客人が財布から札を出そうとした時である。 店の前を何かが横切った。 燦然たる光彩を散りばめながら、時間を斜に切割く烈風のような、そんな何かが― “あの女”である 珈琲店で男たちを背力でひれ伏せさせた、あのデニムの女である。 あの女が歩いていく あの女でも行くあてはあったのだ。 それどころか、女はやおら立ち止まると、自販機で缶珈琲を買い始めている。 その仕草で、また男たちを瞼の底に縛り付けてやろうというのか。 今、珈琲を飲んで来たばかりではないか。 魔性の女とはこうしたものだ、小道具―それが缶珈琲であれ、帽子であれ、サングラスであれ―を武器に、自分が清純ならざる女であることをアピールする術を知っている。 また承知していながら、男はこれに弱いのである。 「はい、三千円のお返しですよ」 内税のお陰で、小銭を仕舞う手間を省けた俺は、不本意にもすっかり女の餌食と化し、急いで生花店を出た。 女は― だが女は、まさに烈風の申し子のような速さで、通りの向こう側へ信号を渡り終えていた。 これをもって俺は、女の餌食から渋々脱する事ができた。 何となれば、あの信号は青に変わるまでやたらに長いのである。 俺と行く方角は同じでも、もはやこれまで。 平日の真昼間から、仏花を手にした男が魔性の女を追いかけまわす様は、絵にならない。 ケムール人が再び、ビルの間から申し訳程度に顔を出し始めていた。 手入れの行き届いた境内では、早咲きの枝垂桜が、品よく春の日に当たっていた。
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