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お袋たちの声が物々しく聞こえてくるような
我が家の墓前で、俺は美味くもなさそうな仏花を供え、息子に帰ろうとしていた。
色々あった一年だった。
お袋も仕事も一度に失い、その代りに時間と金が出来た。皮肉な話だ。
介護の間中、何より欲しかったものが、死別と退職で手に入った。
しゃがんで手を合わせるが、どうにも今日は落ち着かない。腰は浮つき、祈りも通らない。
『一周忌は盛大にやるからな』
無言の墓にそう呟くと、俺は急いで腰を上げた。
さすがに“あの女”はもういなかった。
だが―
俺が水汲み場で、余った水を手桶から捨て、用具を片付けていると、傍らの本堂の前に
“あの女”がいた。
じっと俺を見つめている。
まるで何もかも承知している様に、上半身を本堂に寄りかからせながら。
『またやられた!』
だが、俺の感じた戦慄は一瞬だった。
寺というのは、やはり不思議な空間である。
心の持ち様も何も関係なく、知らぬ者同士が妖魔に非日常を授けられる。
―微風が会釈を促した。
「おじさんとどこかへ行こうか」
「おじさん、不良なの?」
「不良じゃないけど、今は気ままだ」
女の瞳は、少女と魔性の女の間を行き来していて純粋だった。
女が付いて来ようが来まいがどうでもいい。
これは、シネマスコープの世界なのだ。
そもそもマンションの内階段を選んだ事がすべての発端だ。
取るに足らない引き金から放たれた銃弾しだいで、物事はどうにでも転んでいく。
女はジャケットを脱いで、腕に抱えている。
歳の差なんか関係ない。
身長の差なんて愛嬌だ。
『おじさんは渋谷よりも銀座だな』
珈琲でも酒でも、何でも飲むがいい。
まだまだ太陽はあんなに高いのだから。
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