第1章

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 ネネがここまでコーヒーカップに興味を示すのは、今家で心配して待っているであろう母の影響であることは間違いない。彼女は大のコーヒー好きで、必ず毎日豆を挽く。そして通販の本を開いて、コーヒーカップを眺め、時には「よし!」と本にドッグイヤーを付けて購買の決意を固めている。おかげでネネの家のリビングには、行ったこともない国のコーヒーカップが二十種類ほど並んでいた。その中にウエッジウッドがあったので、「これ、紅茶用じゃないの?」と訊くと、「そのジャスパーの陶磁器の青に、コーヒーが入ると素敵なのよ」とご満悦の笑顔で返ってきた。 そして、夜になると決まって「今日は三杯しか飲んでないから大丈夫ね」と、訊いてもいないのにネネに言い訳をする。  緑の薔薇のカップを手にしていた少女は、カップをソーサーに置くと、ついにカクンと前に倒れて寝てしまった。黒く伸びた艶のある髪に、相変わらず春の光は注いでいた。  その光景を見ながら、少しのんびりした気持ちになっていたネネだったが、次の瞬間、自分の状況を思い出した。約束の時間には、既に二十分以上は過ぎているはずだ。電車の遅れなどであれば、二十分くらい遅れるのは当たり前だろうか。とりあえず時間だけでも知りたい。ネネは、少女の席の前に座っている二人のスーツ姿の男女の目を向けた。けれどこれまた間の悪いことに、どうやら面接の練習を始めたように見えた。 「…と申します。前職は食品関係の物流で働いてました」  女性は小さな声で話していたが、志望動機がネネの方まで聞こえてくる。 「…もう少しスキルアップをしたいと思い、御社にのぞみました…」 「英語は話せますか?」 「電話の取り次ぎ以外はあまりやってきませんでしたが、メールでのやり取りは問題無いです」  ネネも、ちょうど一年前に同じような面接をして今の職に就いた。それを思い出して、つい聞き入ってしまう。ネネが聞いているとは彼女も思っていないだろうが、練習しているうちに面接の実感が湧いてきたのか、彼女の顔は立派な答えを言うたびにみるみる赤くなっていった。 「もう少し自信を持って言って構わないんですよ」  営業の男性がアドバイスをしている。
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