プロローグ

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「してもいいですか?」 静かに囁かれる彼の声。優しく、柔らかい声。男の人にしては少し高めの、可愛らしい声。 彼の吐息が耳に当たる。彼の頬が、私の頬に当たる。彼の体温を感じる。暖かい温度が、彼の頬から私の頬へと伝わる。 顔が近づいてくる。 幼い顔した20の男が、私の事をジッと見つめる。無表情で、見つめる。許可をもらうのを待つ子犬のように。 今年で齢30になろうという私に対して、せがむ。求める。要求する。 迫る。今にも押し倒されそうなくらい。 ゆっくりと、少しずつ、私に迫る。近づいてくる。 「キス。してみていいですか?」 これから私が体験するのは、疑似恋愛のお話。恋人ごっこのお話。 純愛ではなく、偽愛。中身のない空っぽの恋。 中身ではなく、外身を先に作り上げた関係。 感情や心を求めるのではなく、先に関係を求める。心を無視して、関係を作る。 そういう恋愛。 恋人でもない私と彼が、どういう訳か恋人みたいな事をする。 恋人みたいにラインして、恋人みたいに電話して、恋人みたいに話して、恋人みたいに下の名前で呼び合う。 恋人みたいにデートして、恋人みたいに手を繋いで、恋人みたいに……。 キスをする。 かもしれない。 これは私と彼の、恋のお話。偽物の愛のお話。 編集者と天才小説作家の、疑似恋愛のお話。
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