八百辻千斗1

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私のその価値観が変わったのは、彼のこの一言がきっかけだった。 物静か。無表情。声の抑揚も乏しい。感情が表に出にくい。何を考えているのか分からない。でも小説を書くスピードは目を見張るほど早い。 本人曰く書き出したら止まらない、だそうだ。 彼と仕事をして2ヶ月が経ち、少しずつ二十三春木と言う人間が分かり出してきた頃だった。 その一言を、彼が言った。 「恋愛小説が書きたいです」 この一言で、私の中にある二十三春木の人間性がガラリと変わる。今まで積み重ねてきた彼と言う人間が、私の中で崩壊する。 イメージが根っこからドミノみたいに崩れ去る。 「恋愛小説……ですか?」 歳は私の方が上だけど、一応作家さんと編集者。敬語は崩さない。でもさすがにこの時ばかりは崩れるかと思った。 イメージと一緒に敬語まで崩れかけた。 「恋愛小説……?」と聞きかかけた。後から「ですか?」を付け足した感じだ。 いつも通り打ち合わせのために彼の仕事場にお邪魔した時に、彼がそんな事を言い出した。 彼の仕事場と言うか、これは彼の家なんだが。家の中に仕事場がある形だ。まぁ小説家なのだから、別段それも珍しくない。 「はい。恋愛小説です。書きたいです」 書きたいですって……。唐突だな。前置きも何もない。もともと口数の少ない方だから、別に気にはしないけど。 恋愛小説……。まぁ話は聞いてみてもいいか。 現在ホラー小説で波に乗り放題の怖気レンを捨てて、恋愛小説に移行。怖気レンじゃなくて、恋気レンとか……? ジャンルの変更は別に珍しい話ではないけど。でもそれって売れていない作家さんが試行錯誤する段階でやる事であって、彼の場合は今それをやる意味が分からない。 ホラーで売れているのだから、わざわざ他のジャンルに手を出さなくてもいいのに。
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