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涼を求めて二人が飛び込んだ小売店の主人は、とても気のいい女性で、酔っぱらった美沙に丸イスをすすめてくれた。
ジュースやアイス、タバコや少しばかりのスナック菓子しか置いていない小さな店だったが、店内は明るく清潔で、唯一開いている店がここで良かったと春樹は思った。
とりあえず少し休んだらタクシーを呼んで、予約を入れておいた民宿に向かう予定だったが、その予定も美沙が狂わせた。
丸イスに座るなり後ろの壁にもたれながら、美沙は即行で眠りに落ちたのだ。
上を向いて薄く口を開け、気持ちよさそうに眠っている美沙を見て、「美人さんじゃのに、おかしい(面白い)人じゃね」と、女主人はけらけらと笑った。
「ええよ、客も来んし、ここで寝さしちゃげ。ちょっと寝たら少しは気分も良うなるじゃろうし」
そういってくれた店の主人に、春樹は申し訳なさそうに御礼を言うと、その好意に甘えさせてもらった。
すぐにタクシーに乗せても、吐いてしまうかも知れない。
ただ問題は、自分がどれくらいここで待たねばならないかと言うことだった。
お世辞にも広いとは言えない店内に、自分の居場所は無さそうだ。
春樹は主人に美沙を委ねると、迷わず炎天下の眩しい屋外に飛び出した。
一番の繁華街であるはずの駅前だが、猛暑のせいなのか、歩いて居る人は見当たらなかった。
シャッターを下ろした店の並ぶ、寂しい商店街を眺めながら春樹は歩いた。
その道の横には、併走して細い川が流れている。
短い商店街を抜けると、春樹はまっすぐその川の土手を歩き始めた。
『せっかく泊まるんなら、こんな寂れた田舎じゃなくて、きれいでお洒落な避暑地が良かったなあ』と、美沙は来る間中ぼやいていたが、仕事があるだけ幸せだし、春樹自身は、美沙となら何処へ行くのも苦にならなかった。
それに、田舎を持たない春樹には、こんな場所がとても新鮮だ。
春樹は土手を降り、川のほとりまで行ってみた。
4メートルほどの幅の川は、そんなに浅くもないはずなのに、水底まで見えるほど透き通っている。
水面はキラキラと光を反射し、暑さを忘れさせた。
ふいに春樹の50センチほど鼻先を、大きなトンボが横切り、そして春樹を誘うように中空でホバリングした。
黒と黄色の巨大なトンボだ。
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