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序 希望の春
娘がひとり先頭を歩き、その後ろを両親が並んで歩いている。
「なんでもあるんだな。俺たちの頃とは見違えるようだ」
「ホントね。私たちのときはまだ、いろいろ造りかけだったもんね」
独り言のような父親の言葉を母親が受けた。
その声にはしみじみと充足感が滲む。
構内の桜はすでに七割方が散り、すっかり葉桜の呈だが、若い緑は娘の新生活に希望の彩りを添えていた。
「ねえ、お父さんとお母さんが初めて会った場所って、大学のどこ?」
足を止めて振り返った娘が問う。
その瞳は無邪気な好奇で輝いている。
「え?えっと……どこだったかしら」
いきなりの問いに母親が戸惑う。
それを横目に父親が答える。
「総科の教室、サークルの説明会だ。なんか野暮ったい女の子がいるなぁと思ったもんだ」
「あら言うじゃない。あなただってかなりアレだったわよ」
「アレとはなんだ?」
「いかにも、なアレよ」
「ああアレか、いわゆるイケメン……だな?」
「……そう、それそれ」
瞳を輝かせたまま娘が割って入る。
「もういいよ。つまりどっちもどっちだったってことでしょ。それよりさ、ねえあそこ、一人暮らし向けのものがいっぱい売ってるみたい」
娘は前方の広場に設置された大きなテントを見て言った。「新生活応援!」「即日配達!」と銘打った旗が立ててあり、一人暮らし向けの家具から家電、食器に至るまで置いてあるようだ。
この時期だけの特設売場らしい。
「すぐに配達してくれるなら文句ないな。ここで買えるものはここで選んでしまおう」
父親の提案に娘は「うんっ」と元気な返事をして、自分と同じ新入学生らしき若者たちで賑わうそのテントに向けて駆け出した。
父親と母親は、仲良く微笑みを浮かべて娘の後ろ姿を眺めた。
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