ミスター・ダンデライオン

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今まであったものが、なくなってしまったということ。 あるいは、あると信じていたものが、本当はなかったこと。 どちらの文言が正しいのかはわからない。 どちらにせよ、彼に与えたこのショックは計り知れないものだった。 彼はすぐに手術を受けることになった。 結果から言えば、手術は大成功だった。 悪い腫瘍を完璧に取り除くことができ、あとは彼の体力が回復するのを待つだけだった。私はほっと胸をなでおろした。 しかし、彼の体力は一向に戻らなかった。 そのため、術後ずっと退院できずにいた。 大きく気落ちして精神を病んでしまったのがその原因だろう、というのが医者の見立てであった。 私も仕事の合間に見舞いに行ったが、ベッドの上で俯いて過ごしていることがほとんどだった。日に日にやつれていく彼を見ているのは胸が痛んだ。 白い病室で、どこか空を見つめながら彼は呟いた。 「私は大事なものをなくしてしまった。命よりも大切な、あのダンデライオンの花を」 この言葉が妙に耳に残っている。 その後も彼は入退院を繰り返し、結局亡くなってしまった。 仕事中にかかってきた電話が、その訃報を私に伝えた。その日の朝から体調を崩していて、そのまま、家族に看取られて逝ったらしい。 嘘のようで、にわかには信じ難かった。棺の中の彼を見ても、いまひとつ実感は湧いてこなかった。 棺の中で眠る友人に、タンポポの花をそっと手向けた。
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