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一方で、神道は高校で陸上のエース、将来は五輪も視野に期待されていた。しかし過度の練習で故障、今は車椅子や杖を必要としている。昔は足の感覚が無いことに自暴自棄になり、自らの足を何度もコンパスで刺そうとするのを俺と春日は必死で止めていた。今ではそんな事はしないし、落ち着いた仕事にも付いているのだが、日増しに細く、弱々しくなる自分の足を彼が話題に出したことは今もない。
そして、俺、日野健治もまた不幸の最中にある。春日の様に借金があるわけはないが貯金もない。神道の様に四肢に障害があるわけでもないが、俺の脳、あるいは心にはある種障害があるのだと思う。多い時には年4回。なんの数字かといえば正社員としての雇用から退職届を書くまでの回数だ。この十年、俺はそんな事を繰り返してきた。直接的な理由は違えど本質的には俺の性分が社会に溶け込むことを許さないのだろう。三人の中では唯一大学を出た。それも、上から数えて指の数で収まる有名どころだった。成績も常に1位を独走し、決してただ大学を出たなどとは言わせないだけの論文を仕上げたし、論文自体は俺の初めの職場で今も開発のテーマに使われていると聞くほどだ。自分で言うのもおかしいが、高いスペックは問題ない。問題は自身を過大評価してしまっていることだろう。それでも、自身を偽る事を何年何十年も一所で続けるなどどうにもおぞましいのだ。時給換算すれば自身の時間を1000や2000円で売り渡すその行為に激しい嫌悪感を覚えてしまう。狂った様に脳裏に過るのはいっそホームレスなり事業主なりの世界に飛び出してしまおうかという願望と、淡い恐怖と理性がせめぎ合い、もっとも無駄だと知る迷うだけで数年が過ぎていた。
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