怒りのケンタ〇キー

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これはクリスマスの怒りである。 そのまえに私について説明がある。 私は会社を退職してから1年たった。 食生活がガラリと変わった。 それまでは、 お昼にラーメンやら夕方にコンビニ、ハンバーガー、夜は11時に晩酌だった。 それが今では、 ほとんど野菜中心の食事。昼は食べない。夕飯は夕方6時。 その結果、1年で15キロ体重が減った。 が、このような生活をしていると、がまんできないのが、 ケンタ〇キー・フライド・チキン。 あの塩味。油。 もう食べたいというより、くいちぎりたいという野性的な感情になる。 これまで無職なので、お金を使わない日々を過ごしてきた。 が、1年間ジャンクフードを食べていなかったので、 一種の禁断症状になってしまった。 それも、クリスマス。 クリスマスなのだ。この日だけはチキンを食べる権利があるのだ。 チキンを思いっきりむさぼり食ってやるのだ! そう思うと、あの塩味が恋しくて恋しくて、 近所のケンタ〇キーへ夢遊病患者のようにはいった。 すると、 この日は、予約をした客への販売のみとなり、 一般客にはチキンは販売できないという。 「じゃあチキンフィレサンドにしようかな・・・」というと、 それも販売できないという。 つまり、鶏肉のたぐいはみな売り切れ状態なのだ。 しかたなく、せっかくきたのだし、 クリスピーというチキンまがいのものと、コーヒー。 それと、ほしくもなかったが、コールスローをたのんだ。 しめて880円。ぜいたくな食事である。 ふだん、スーパーでたまに買うお菓子がココナッツサブレ95円である。 この880円は痛い。 私は涙をこらえながら、ほしくもなかったコールスローを食べていた。 すると、チキンを予約した客が、どかどかやってきた。 みな当たり前のようにバケツみたいな大きな入れ物のチキンを買っていく。 店内で食べているのは私だけだ。 私はその家族連れのたのしげに買っていくさまをぼんやりながめていた。 ケンタ〇キーに来て、チキンが食べられない屈辱。 ほしくもなかったコールスローを食べている屈辱。 大量のチキンを買っていく家族を見せつけられる屈辱。 クリスマスなのに、 店内での飲食客は私ひとりだけの屈辱。 金を払って、拷問だった。
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