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闇に閉ざされた丑寅の刻。
山間の小さな泉に、幽かな水音が滴る。
「だ、旦那。あれじゃねえですかい……? こんな山ん中、しかもこんな夜半に女が一人で水浴びなんて……」
男は地べたに這うようにして、藪の隙間から泉に佇む人影を注視した。もとよりボロの着物ゆえ、汚れなど意に介さぬ。
月ですら雲に隠れ、闇の重さに加勢する夜。
ハッキリとは見えないが、その華奢な背中と膝まであろうかという長い髪は間違いなく女の物である。
「うむ、そうだ……たぶん、あれが……!」
旦那と呼ばれた伊左という男も……、こちらは上質な綿麻の着物ではあるが先の男と同じように地べたに這い、息を詰めてそれに見入った。
女はザブリと泉に身を沈め、喉を反らしながらまた立ち上がる。滴る雫が、ふいに顔を出した月の光を受けて煌めき、その姿をぼんやりと浮き上がらせた。
濡れて艶めく長い黒髪、滑らかな曲線を描く裸体、可憐な双のふくらみに差す薄紅色までが鮮やかに映る。
堪らず、伊左はゴクリと生唾を嚥下した。
その妖しげな美しさに目を奪われ、瞬きすら叶わない。
「間違いない……あれが、お館様が生け捕りを所望された賊の女、濡れ羽鵺(ヌレバカラス)だ……」
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