0人が本棚に入れています
本棚に追加
?
エブリスタ×KEIKYU×マイナビニュース
京急物語 応募作品
『Le Chant de Sirene ―セイレーンの歌―』
第一章
「―今朝の海も、いい感じだったな」
もうすっかり馴染んだマリーナ。手足の一部のように扱えるセイル。日の出前の、群青色の空に茜色が混じってくる光景も、ひんやりした潮風を伴奏にした波音も。
この僕―の生活の一部になっている。
「さて…帰ったら飯にして、今日の準備だ」
ここ葉山で祖父の代から営業しているホテルがある。それが僕の家だ。
もと海軍だった祖父が、退役後に恩給でここの土地を買い取って開業した、と聞いている。最初は決してホテルなんて大したものじゃなく、引退後の第二の人生として別荘を構えたつもりだったんだろう。
けれど、軍で料理長としても鳴らした祖父が、時折訪ねてくる旧友に料理を振舞っていたら、これが実においしいと評判になって、やがてその噂を聞いてあちこちから人が訪問してくるようになったらしい。祖父がまた人好きのする陽気な性格で、来る者拒まずで受け入れたものだから、いつのまにかそれが商売になってしまったようだ。
その祖父も、僕がだいぶ小さい頃に亡くなった。その時言われたことをよく覚えてる。
―暁…誰もひとりでは生きられんものだ…
出会いはみな縁あってのもの…それを大事にしろよ…―
成長した僕は、大学生として経済と経営について学んでいる。もちろん後を継ぐためだ。
その一方、早くから海遊びにも馴染み、子どもの時から遊び場として忍び込んでいたマリーナでヨットに乗り始めた。それがずっと続いている。陸に上がっても海が忘れられなかった祖父の血が、僕にもちゃんと流れているらしい。
―あぁ、勘違いしないでほしいけど、別にお坊っちゃんとか御曹司とか、そんな大層なものじゃない。ただ、遠くから訪ねてきた友人やお客さんを、祖父が心から楽しそうに持てなしていたのが記憶に残っているんだ。子ども心にも、それがとても印象的だったから。
「今日は…暑くなるかな」
朝食を済ませて家を出る頃には、もう日はだいぶ高くなっていた。夏に向かうこの時期、晴れた空も少しずつ湿り気を帯びてくる。
「―あ…まただ…」
そう…こんな日には、決まって思い出す光景がある。
―うーみーはーひろいーな、おおきーいーなー♪
―へったくそー、ゆかー!
最初のコメントを投稿しよう!