第1章

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 ―もー、アキちゃんてば、うるさーい!これでも気にしてるんだからぁー!  ―えへへ、ごめんね。でも声はきれいだね。  ―もー…今更ほめたって遅いもん! …嬉しいけどさ。  あ~あ、大きくなったらもっと上手に歌えるようになるかなぁ?  ―なれるといいね。その時はボクに何か歌ってよ!  ―…そだね。じゃ、しよっ! 「ゆか姉…か。どうしてるかな…?」  ―年上の幼馴染。  小さい頃、同年代よりも小柄で鈍くさかった僕にとって、ゆか姉は本当のお姉さんみたいな人だった。元気で明るくて、少し素直じゃない所はあるけど、本当は優しい性格だというのは、一緒にいた僕にはよく分かってた。歌が好きで、たびたびこうしてマリーナを練習場所にしていた。それは、決まって今日のような、よく晴れた日だった。  そのゆか姉、小学校卒業と同時に、ご両親と一緒に引っ越してしまった。それ以来、噂を聞かない。どこでどうしてるのかも分からないままだ。 「…あ、もうこんな時間か、行かないと」 「こんばんは、マスター」  講義を終えて帰ってきてからは、マリーナ内のレストランでアルバイトさせてもらってる。担当はもちろん調理。これも祖父の影響なんだろう。 「―お、須崎君!今日もよろしく頼むよ」 「はい!」  前日から仕込んでおいた肉を塩と胡椒で味付け、中火で程よく焼いて、肉汁から取ったソースをかける。軽く炒めた輪切りのポテトと人参のグラッセ、クレソンを添えて完成。ご希望とあれば、三十年物の赤ワインも一緒にお勧めしてる。自家製のフランスパンやフォカッチャも人気。  場所柄、お客さんはリピーターがほとんどで、中には親子二代、さらには孫の代まで通いつめる方も少なくない。不景気や少子化のあおりも受けているはずだけど、やはり葉山というブランドのおかげなんだろうか。何にしても、末永く贔屓にしてくれるお客さんがいるのはいいことだ。 「今日もお疲れさんだったね。飯にしようか」 「そうですね、いただきます」  夜も更けて、閉店後のまかないをいただく。営業中の賑わいとはまた違う、このゆったりした時間が好きだ。控えめに流れるバックグラウンド、窓越しに見える照明に照らされたヨットやクルーザー。一日が終わった後の程よい疲れの中、このシチュエーションでの食事というのもまたいい。 「―さて、どの辺に貼ろうかな…」
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