第1章

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「向こうは歌手なんですよ。相手にされませんって」 「そりゃ分かんないぞ~、チャンスは逃したらだめだめ!」  ―とまあ、結局何かしら起こるのは避けられなさそうだ。  日も落ちかかった六時半。土曜日とあって週末を過ごしにきた滞在客で賑わっている。  夜の帳を告げるように照明が落ちる。ささやくピアノが蒼い潮風を吹かせる。  いよいよライヴが始まる。ゆか姉が帰ってくる― 「……!」  スポットライトに照らされた姿に、言葉をなくした。  ポスターで見た姿よりも、さらに美しく、眩しかった。間違いなく、あの―「ゆか姉」なのだ! 「こんばんは、YU―KAです!  十数年ぶりに地元・葉山に戻ってまいりました。今夜は皆さんと素敵な時間を過ごしたいです。最後まで宜しくお願いします!」  歓声と口笛があがる。名前を呼ぶ声も聞こえる。調理場にいる僕はそれを感じることしか出来ない。 「ゆか姉…すごいよ…」  時には軽快なリズムに乗って転がり、時にはしっかりとバラードを歌い上げる。昔どこかで聴いたことのある歌が、ゆか姉の声で蘇る。あの頃と変わらない、そよ風のような涼しげな優しい声。僕はあまり音楽には詳しくないけれど、一曲ごとに空気が違った色で彩られていくみたいだ。  それにしても、本当によく表情が変わる。陽気な歌では心から楽しそうに、しんみりした曲は今にも泣き出しそうな切ない顔を見せる。感情表現が豊かなのは昔からだけど、ここまでになっているなんて。  よく変わる表情にあわせるように、体も動く。あの長い黒髪が揺れるたび、ラメが煌く。可憐なオレンジの花飾りが、黒髪の艶やかさをさらに引き立てる。背面が大きく開いたタイプのワンピース。時折、シルクのように滑らかな背中を玉の汗がこぼれ落ちる。胸元の生地が引き攣れるほどたわわに実った果実が、絶え間なく弾む。 「…ゆか…姉ぇ…っ…!」  見とれてしまう―聞き入ってしまう。  十年以上経って、かつての少女はこんなに魅力的になっていた。  そんな僕の、落ち着かない悶々とした思いをそっちのけにしてライヴは着々と進み、すでに終わりに差しかかろうとしていた。  「―今夜は本当にありがとうございました。次の曲で最後です、聴いてください。 『ラストダンスはわたしに』!」 「―ありがとうございました。YU―KAさんに今一度盛大な拍手をお願いします!」  わあっ―!
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