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「こんなふうにしてて、ご両親は心配しないのかい?」
若葉は、思いきったように咲子に訪ねた。
「お母さんにはねぇ、友達と品川水族館に遊びに行くって
メールしたの」
咲子は、携帯をいじりながら、楽しそうな笑顔を若葉に見せた。
ははは、やっぱり家出なんて嘘だったんだな..
水族館に遊びに行く..ふうーん..
「お父さんはね、私が小さい時に、家を出たきり帰って来ないの」
咲子は、電車の窓の向こうの風景を見ていた。
「そ、そうなのかい?余計な事を聞いて悪かったね..」
若葉は、咲子の顔を伺った。
「気にしないで..でも、なんとなくそれらしい中年の男の人が
行く宛もない格好で、ぼおっとしてたりすると..
なんか、もしかするとお父さんなんじゃないかって、
勝手に思い込んだりする時がある..」
咲子は、若葉の目をじっと見た。
「そんなふうに思ってたのかい?
残念ながら、僕は君の父親では無いんだ。
僕たち夫婦には、子供は授からなかったんだ」
若葉は、なんだか、緊張が解けて、溜め息をついた。
「きちんとした挨拶をした方が良いね、
僕の会社は潰れてしまったけれど、
これ、名刺です」
若葉忠政は、名刺を咲子に手渡した。
「おじさん、カメラマンなの?」
咲子は、高い声を出したが、
電車の走る騒音に、咲子の大きい声は、
掻き消され、ほとんど聞こえなかった。
若葉忠政の残された財産のカメラは、
若葉の背負ったリュックに入っていた。
仕事用に使用していた高価なカメラは、売却済みだった。
若葉の手元に残ったのは、
若い頃、なけなしのお金で買った
中古のカメラひとつだけだった。
「凄ぉいっ、あとで写真とって欲しいなぁ」
咲子は、目をキラキラさせて、笑っていた。
咲子の声が大きいので、若葉は、周囲を見渡したが、
同じ車両には、数人の中年の女性たちのグループがおり、
その女性たちも、大きな声で笑ったり、
喋ったりしていたが、電車の走る騒音のためか、
周りの誰も気にするものは居なかった。
僕たちは、周りからどんなふうに見えるのだろう。
年の近い親子、と言ったところだろうか?
若葉は、ふとそんな考えが頭をよぎった。
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