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「ホラっ見て、これがうちの民宿だよ」
咲子は、携帯の画面を若葉に見せた。
それは、こじんまりとした建物で、
入口前に、石段があり、周囲は緑に囲まれた、
今どき珍しい、懐かしい感じの旅館だった。
「感じの良い民宿じゃあないか..
これ、君のお母さん?」
若葉は、どことなく、咲子と顎のあたりの面影が
似ていると思い、咲子の顔を見た。
「そう、うちのお母さん..」
咲子は、そう言うと、
何かを思い出したかのように、うつ向いた。
若葉は、咲子の目に涙が一杯溢れているのを見てとった。
咲子は、鼻をすすり始めた。
「これで、鼻をかみなさい..」
若葉は、リュックのポケットからティッシュを出し、咲子に手渡した。
隣の、中年女性が、訝しげに、若葉の顔を見た。
それに気付いて若葉は、苦笑いを浮かべながら、
女性に軽く会釈すると、咲子の顔を伺った。
「大丈夫かい?お母さんと、喧嘩でもしたの?」
若葉は、咲子に尋ねた。
「じぃーんっ、じぃーんっ」
咲子は、大きな音を立てて鼻を噛んだ。
「うぅっ、じぃーんっ..うっ..」
咲子は、嗚咽を繰り返し、そして鼻を噛んだ。
鼻を噛んでは、思い出したように、嗚咽を繰り返した。
「うぅっ、じぃーんっ、うっ..はははっ」
咲子は、今度は、突然笑い出した。
見ると、咲子の鼻から鼻水のちょうちんが、
プウッと、膨らんでいた。
「ぷっ、くくくっ」
若葉も、堪えきれず、吹き出してしまった。
周りのオバサン達も、クスクスと笑っている。
「はぁーっ、あのね、お母さんと喧嘩しちゃったの
あたしの進路のことで..」
咲子は、肩の力が抜け、落ち着きを取り戻していた。
「何か、やりたいことを反対されたのかい?」
若葉がそう言うと、間髪入れずに咲子は言った。
「そう!わかるの?おじさん?
あたし、絵を描くのが好きなの..
美大行きたいって行ったら、お金無いからダメだって..」
咲子がそう言った時、
電車は、大森海岸駅に到着した。
扉が開いて、若葉は、咲子を促した。
親子程の年の離れたふたりは、
友達でも無い、仲間とも言えない、
そう、例えるならば、
同志のような思いが、沸いていたのだった。
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