あたしが手にいれたもの。

14/15
前へ
/15ページ
次へ
母親は生きた。 父親も、オペから1年後の母親が退院してから笑うようになった。 そしてあたしは就職した。 施設ではなく、個人をまわる在宅ヘルパーステーションに。 母親は再発はまずないと言われたこともあり、あたしは家から出た。 やるべきことはやったと思っていた。 その数年後、両親が蒸発するともしらずに。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加