VS──『巌流島の殺人』論

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 物語の起点に位置し、物語の中心に位置する最大の謎。探偵役の主人公にとって、読者にとってもいちばんの関心の的である、遺体が移動したという謎──屍体の一時的消失と突発的出現は、ある大胆不敵で独創性高い物理的トリックをもっか犯人がもちいたことで可能となっている。  このトリックにも、不満な読者はいるにちがいない。(いわ)く、実現できるのか、実行する必要性がない、実効性が疑われる等々。現実的なトリックでないことの非難は、結末にいたる前の逆転劇により納得をうながされ、ある程度トーンダウンするだろうが、いくらでも犯人がべつの方法をとれることを考慮すれば、やはりおかしい(、、、、)という評価になってしまうだろう。作者の考慮がいまひとつたりなかった作品の弱点として、現実性が薄いトリックだと攻撃されるのも一面まぬがれない。がしかし、考慮がたりないのは、理解が不足しているのは否定的見識をもつ読者のほうだ。のみならず場合によっては肯定的評価をくだす論者()、だろう。  屍体消失と出現のトリックは、犯人がもちいた物理トリックというだけでなく作者が作品レヴェルで仕掛けた、いわば「テクスト・トリック」とでもいうべき性質のものでもある。重複する要素も多分にあるものの、読者の思いこみを誘発する(かた)りの語り専門の、いわゆる叙述トリックとはいちおう区別しておく。ここでいうテクスト・トリックとは、さりあたり叙述トリックよりも広範囲の意味で、細部(ディテール)にわたり仕掛けられるレトリック(、、、、、)のトリックだとしたい。  作中、順番に挙げられる数々のご当地グルメや観光名所。そのねらい(、、、)は、物語の舞台をととのえ空気感を醸しだすのと同時に、屍体の消失/出現トリックを示唆する重要な伏線を、無数の、無関係で、無駄な描写と情報のなかに埋没させてしまうことである。探偵役が真相究明するための足がかりになり、読者がトリックを解明するためのヒントにもなる伏線を、ご当地グルメのこまごまとした紹介や観光名所のわかりやすい解説を長々と何度もくりかえすことで「森のなかに隠す」ように隠すこと。「森がない場合には、自分で作る。そこで、一枚の枯葉を隠したいと思う者は、枯木の林をこしらえあげる」──まさしくあの逆説的論理のように、決定的証拠をほかの大量のジャンク情報でカモフラージュするのが、この発想の(きも)であり効果である。このトリックを通常は犯人がおこなうところ、今回は作者がテクスト内でおこなったということなのだ。  ところで、いまやテレビのバラエティといえば、本来のお笑いに特化した先鋭的な番組はすっかり姿を消し、そのほとんどがグルメや名所の映像をふんだんに織り混ぜクイズやナゾなぞに仕立てて構成した、ただの情報番組やクイズ番組にすぎなくなっている。ようするに一般視聴者の興味を惹きつけ評価されやすいのは、そういった内容(コンテンツ)なのだ。人気のある雑誌や売れ筋の新書など、書籍関連にもそれはよくあてはまる。この傾向は年々加速していて旧来のメディアだけにとどまらない。インターネット上のさまざまな配信サイトやSNSで流行(バズ)る動画や企画のトレンドはだいたい、多かれ少なかれ、そういった要素や手法をとりいれ売りにした、実況ロケや食レポの類いである。あとは登場人物(キャラクター)のキャラ性を前面にアピールし固定ファンをとりこみ、共感もアンチも話題になるならなんでもござれ、といったところだ。  運営サイトが公式コンテスト「ご当地ミステリー」で求めていた作品もそういった内容のものだし、それに過不足なく応え、大賞をみごと射止めた優秀作がようは『巌流島の殺人』だった。もし、あと少しものたりないおしい(、、、)ところがあったとすれば、シリーズ化できるような個性的な探偵役キャラ((プラス)魅力的な女性キャラの助手もいてコンビかバディであればなおさらいい)が用意されていなかったことぐらい、ストーリー性は文句なしにすぐれているのでそこにキャラクター性が加味されていれば完璧、というような声も聴こえてきそうだ。としても、本作にそのようなエンターテインメント性はまったく不要である。仔細はまた後述するとして、現代の情報化社会の風潮をむしろ逆手にとって、作者は作品を本格ミステリー/推理小説として完成させたのだ。  有益な情報を、無数の、無関係で、無駄なジャンク情報のなかに埋めこみ、隠す。このテクスト的トリックは、犯人の物理的トリックを巧妙にカモフラージュし、ほかのべつの可能性へ読者をミスリーディングさせる。ということは、決定的証拠である伏線以外の、無数の無関係で無駄なテクスト部分さえも、伏線を隠す伏線として、無意味な情報が有意味な伏線として機能していることに等しい。無意味が有意味に姿を変える、ひっくり返るということに。ジャンクがジャンクでなくなるのだ。
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