第四回 神話の果ての「ミステリー」

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 まず、島田荘司の結論を先取りしていえば、本格ミステリーとは定義的に「幻想的謎と、高度な論理性を有する形式」である。 (中略)探偵小説には「ミステリー」と「推理小説」とがあり、「本格ミステリー」とは、ポー、ドイル、カーなどに見られた原点のスピリットを有するものをさす。  これを形式条件、あるいは数学的定義に似せて語るなら、「幻想的で、魅力ある謎を冒頭付近に有し、さらにこれの解明のための、高度な論理性を有す(形式の)小説」となる。  幻想的な謎と高度な論理性──このふたつの要素こそが、島田が論旨のなかでもっとも強調したいところであり、本格ミステリーの必須条件と考えていることなのだ。  第一の条件である「幻想的な謎」についてまずは検討してみる。その前段階の論として、「神話の系譜」に「ミステリー」が、「リアリズム小説」の流れのなかに「推理小説」が位置するという、独自の分類法と見解を島田は示している。  「推理小説」は、一方で「ミステリー」とも呼ばれる。「本格推理小説」という言葉が発生したと同様、「本格ミステリー」という表現も最近はしばしば行なわれる。この「ミステリー」とは何であるか。日本で今日行なわれる「推理小説」と完全な同意語であるのか否か。「本格推理小説」と「本格ミステリー」とは、完全に同種の小説形態をさすのか。  かつて大坪砂男と高木彬光の間で交わされたあの「探偵小説と推理小説」談義にも似たラディカルな疑問を投げかけ、「単なる形式名と変化している可能性」があることも念頭におきながらその解答としてもちだされたのが、物語を空想的な傾向のものと現実的な傾向のものとに分ける二元論である。島田によると「この世界に存在するあらゆる小説は、大きく分類して二つの系譜に属している」と考えられる。神話を出発点に脈々と継承されてきた幻想色の強い「今日のSFやホラー小説にいたるファンタジーの流れ」と、日記のような記録文学から近代の自然主義を経て私小説でひとつの完成を見たリアリズムという、対極の方向性や領域があると。
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