第一回 定義をめぐる混乱

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 第一回 定義をめぐる混乱

 いまだ本格ミステリー/推理小説の定義をめぐって書く側にも読む側にも、曖昧な認識のせいか、その核心を問われる場面では混乱がつづいている。  たとえば「本格」抜きの、ミステリー/推理小説でもいい。その定義を問われて、迷いなく、はっきりと答えられる実作者や読者が、はたしてどれほどいるだろうか。  Wikipediaなどのネット情報や数多くあるハウツー本に目を通して納得し、あるいはそれらを適度に模倣(コピペ)して説明してみるのも、選択肢としてはまちがいではない。教養的、一般的な知識としてはむしろそれで充分だろう。ただ、それで「わかった」気になるだけではどこか満足できない者──作者と読者のべつなく──、すっきりとは納得できない人間も少なからずいるはずだ。少なくとも自分はそのひとりである。  ミステリー/推理小説の定義がわからなくともそれを書くことはべつだんできるし、読んで楽しむこともできる。むしろそれについてへたに難しく考えることは、形式に縛られ「自由」な創作を阻害することにもなりうるし、どこまでいってもみんな各者各様で千差万別、作者と読者の数だけ考え方があるのだから、結局、深くほりさげて考えるだけむだではないか──。  あるいは上記のような意味でも、定義うんぬんを論議するより、具体的に名作を列挙していくほうが一目瞭然で話が早い。そういった声がいまにも聞こえてきそうだ。大多数がそういった見解かもしれない。  そんな楽観的にすぎる考えの人間に対しては、とくべつ反論することはない。ただし自分の知るところでは、その手の素朴で浅薄な主義主張の持ち主は本格ミステリー/推理小説を書こうとして見事に失敗し、他者の駄作凡作を傑作かのように勘違いし高く評価してしまう、そういうことが往々にしてあるとだけ指摘しておく。  筆者がいまここで問題にしたいのはそんなことのためではない。本格ミステリー/推理小説の定義について徹底して考えることで、その核心を(つか)み、議論の発展へつなげていく、そしてこれから今日(こんにち)の傑作、未来の新たな傑作を産む──それがためである。  これから、できるかぎり多くの作者ができるかぎり多く本格ミステリー/推理小説を書き、それをできるかぎり多くの読者が正当に評価する──そんな、これからの傑作を産むためだ。
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