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電子メール──クラウドから俄雨の詞
本稿でとりあげた三作のなかでは、もっともこの短篇『優しい雨』https://estar.jp/novels/24713769が小説という形式に対して実験的で挑戦的な作品であろう。前衛という評もこの作品にかぎっては文字どおり過不足なくあてはまるのが、誰の目にも明白であるにちがいない。
一ページ目から章タイトルが「TO:わたし」と銘打たれ、内容といえば以下のようなものである。
CC:
BCC:かみさま
TITLE:
これだけがまず表示されると、次ページには、誰のとも知れない、おそらく若い女性らしき、名もあかされない人物の、メモ書き的な独り言とも、日記やブログの一部分とも、あるいはこれがニュアンスとしてはいちばん近いのかもしれないが、SNS上のつぶやきともとれるような言葉がつれづれに綴られる。ページが変わるごとにかならず最初は「TO:わたし」と、上記とまったく同様のテクストが呈示され、次の一ページでつぶやきが洩らされる。今日一日の印象深かったことを冷静にふりかえるように、ときに怒りやら悲しみやら感情のまま書き殴るように。
短かったり長かったりと独白の文字数はまちまちながら、基本的にこのパターンのくりかえし。これが幾度か最後のページ直前までずっとつづく。
いうまでもなく「TO:」というのは送信先を指定する記号、くわえてCarbon Copyの略である「CC:」、送信者以外ほかの受信者に宛先を表示させない機能のBlind Carbon Copyを略した「BCC:」、件名を意味する「TITLE:」、こうした型式をダイレクトに表記していることからもあきらかなとおり、この短篇は携帯電話かPCか、はたまたタブレットのような端末機から送信されたとおぼしきEメールの送信あるいは受信データでのみ、最初から最後まで構成された非常に独創的な小説である。あまりにも破格な構成のため、これを小説と呼ぶのに抵抗のある人間も少なからずいるかもしれない。初見は驚き困惑するにちがいないし、人によっては否定的な感想を懐きもするだろう。
メール内容から推察するに、発信しているのは十代から二十代前半の女性、だとすれば送信元の端末は携帯電話がもっとも可能性が高そうだ。おそらく数日のうちに発信された数通のメールというよりは、数年間にわたってごく稀にときどき気まぐれに送信されたものと考えるほうが妥当におもわれる。このように受け手はさしずめ考察するように、小出しにされるものの結局は少量しかない情報から重ね合わせ、繋ぎ組み立て、背後にあるだろうひとりの人間の物語を自身で想像し構築するほかない。
件名は毎回ないし、各エピソードにちょくせつ何の繋がりもなければ前後の脈絡もない。文体も語調も、かろうじて書いた人物がおなじ人間であってもおかしくはないといった程度のものにすぎず、本文の内容といっしょでバラバラでぐちゃぐちゃ、統一感はほとんどないに等しい。発信者の正体は何ひとつ不明のまま、その背景も詳しい事情もなんら説明されることはないといった調子なのだ。「TO:わたし」と宛先がなっていることから、特定の誰かに伝える気はさらさらはなからなく、徹頭徹尾、自分自身に対してのつぶやきでしかないことだけはわかる。
ポイントはなんといっても、それでいて「BCC:」の宛名が「かみさま」とだけシンプルに、毎回毎回何度も明記されていることだろう。誰に告白するわけでも相談するわけでもない、孤独なモノローグ。しかしそれでも、存在もふたしかな、曖昧な、というより、たぶん存在などしない、知らない、神へ向かっておもわず言葉を、想いを、一方的にでも投げざるをえない発信者のやりきれなさ。むなしさ。
これは祈り、みたいなものだろうか。いいや、おそらくちがう。否、これが祈り、これこそが対象を欠いた切実な願いというものなのかもしれない。現代社会の無神論的世界、不在の神への信仰とその空虚感において。誰かが見る可能性はない、誰かが聞いてくれる保証などない、ましてや神様なんているわけすらない、だとしても話さずにはいられない、物語らずにはいられない、言葉を紡がずにはいられないし伝えずにはいられない、祈り願わずにはいられないのが人間なのだ。人間という存在なのだ。
さらにいうと、この作品が表現する内面の吐露は、不特定多数の、目をとおすかどうかも不確定な読者という他者の存在へ向かって、みずからの書き記した小説をインターネット空間に投稿する作者の姿そのものを暗喩した、寓話とも戯画とも解釈することもまた可能である。オーヴァーラップされた自己像だとも。
ラストシーンで起こる魔法のような、奇蹟のような不可思議な現象。その現象が奇蹟なのでも、救いなのでもない。じつのところ現象じたいは単体で見れば、たんなるありふれた自然現象にすぎないとも、あるいは逆説めくが、一部の認知ではありがちな超常現象だともいえてしまう。
返信があったこと、それじたいがだからほんとうはすばらしい奇蹟なのだし救いなのだ。超越的存在から返答や反応があったことが、ではない。相手から、対象の人物から、他者なる誰かから、ほかならぬあなたからあったこと、投稿に対して返事のあったことが真に奇蹟だということ、救いだということなのだ。日常的な、平凡な、ありきたりな人と人との、ふだんの何気ないコミュニケーションでおこなわれていること、起こっていること、それじたいがじつはすごく魔法のようで奇蹟的な出来事なのだと『優しい雨』はしらしめてくれる。
すばらしい世界。世にも美しい光景が広がる。三作とも形式化を進めた先にとてもこの世のものとはおもえないような、美しい光景を現出せしめた。読んだ者のまるで眼前に美しい光景を。
みっつの物語それぞれ別々に童話、手記、電子メールという形をとりながら、それぞれに異なる景色を映して/写して/移してみせる。そこにはいずれもまだ見ぬ世界へと、外へ出たい、知りたい、行きたい、生きたい、繋がりたい、伝えたい等々といった他者への、外部への尽きせぬ無限の想いや祈りがある。言葉に綴じる、そして小説という形式に閉じることで、むしろその外側へと向かうエネルギーに激しく突き動かされる。破壊衝動に駆られる。
かの未琴作品はアンビヴァレントな魅力にみちている。物語における多様な形式を擬態しつつも、創造的に破壊せんとする意志と、他者/外部に対する超越的な欲望をゆたかに表現して。この世界が不思議にみちみちていることを証明してみせるように。
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