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光と闇に揺蕩う免罪符のファンタジー──春野わか『黒い砂漠と勇者の種─ 千夜一 夜物語』
都筑道夫みずから「ヒロイック・ファンタジイ」をめざしたと自己解説もしている長篇『暗殺心』に、初期の傑作『三重露出』と『なめくじに聞いてみろ』をくわえた三作が、数ある都筑作品のなかでも冒険アクションものの最高峰だと私見ではみる。いまではファンタジーと称されカテゴライズされるこれらは、敗戦直後から一貫してミステリー、SF、アクション系の小説や映画に広く通暁し、深い知識も理解もあった技巧派のクリエイター都筑道夫だからこそ創造することのできた、エンターテインメント性のとても高い独創的な、世界とストーリーの作品だといえるだろう。長らく入手のむずかしかったこれら名作の近年あいつぐ有意義な復刊には、もちろん編者で研究者・評論家である日下三蔵の精力的な活動によるところが大きいとはいえ、やはり昨今のめざましいファンタジーの流行とその定着化が背景としてあるのかもしれない。
山田風太郎の忍法帖シリーズが画期的な先鞭をつけたのだとしても、都筑のアクション小説は現代ファンタジーや少年マンガ的戦闘などによく見られる設定、演出、展開といった、いまや定番の物語メソッドにはるかに先行している。しかしながら抜群のおもしろさを誇る先駆的な都筑作品が復刊後、多少なりとも一部で再評価はおそらくされているにせよ、ファンタジー系やアクション系の現代の作り手に顧みられているようすはほとんどなさそうだ。どうやらそれは受け手にも同様で、いまのところ認知度はまだまだ低いようである。
都筑道夫にはエンタメにかんする発想や技法だけでなく、その鋭敏な問題意識にも学ぶところは多い。たとえば『暗殺心』の後書きで「剣と魔法とネヴァー・ネヴァー・ランドを想定して、登場人物たちにリアリズムをわすれた行動をさせることは、勤勉小心な中年男が衝動にかられて、一夜の放蕩にボーナスを消費するような痛快さがある」と語りながら「けれど」と、「あとのむなしさが、つきまとう」とも吐露する。「それを解消する方法を、アメリカのエンタテインメントに現れた東洋趣味から、思いついたのである」という自註にはさらに詳しくこう述懐がつづく。
楽しさのあとのむなしさとは、私の場合、日本の小説家なのになぜ、魔王クロバとか、カル王子とか、魔術師トルファスとか、片かな名前の人物をつくりだして、働かせなければならなかったのだろう、という違和感だ。瑣末なことだが、気になりだすと、きりがない。かつて私は、SFというのは超大国の人間の楽観性の産物ではないか、と考えて、このジャンルから遠ざかったくらいだ。
このような疑義を呈することが、形式そのものに対するほんのささいな違和感をもつことがはたして、現代のファンタジー作品全般の書き手にその何分の一かでもあるだろうか。「剣と魔法とネヴァー・ネヴァー・ランド」の世界とストーリーに無邪気に耽溺するにとどまって、何の疑問も懐かずパターンに嵌まり、たんなる追従にしかなってはいないだろうか。
ところで、松本清張には歴史ミステリー小説の傑作『火の路』という長篇作品がある。いまもって古代史の大きな謎である酒船石の正体をめぐって、はるかペルシアの地にまで物語が展開される非常にスリリングで知的サスペンスにみちた野心作である。作中には資料として写真や図版、登場人物が書いたという設定でオリジナルの論文まで挿入される。題材が一般読者の少々とっつきにくいものであっても、娯楽として読ましてしまおうという企図のもと、さまざまに工夫を凝らした大胆で精密な構成には唸らされる。きっと読んだ者の多くが知的な興味と興奮を呼び起こされ、遠い過去と異国の地へと誘われて、冒険の旅に連れだされるような感覚を存分に味わえるにちがいない。としても、読み終えたあと不満めいたものがひとつ残る。
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