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著名なアラビアンナイトの世界観をモチーフに、独自のキャラクター造形と文章表現とで発展的に創作された春野わかhttps://estar.jp/users/146251531『黒い砂漠と勇者の種─ 千夜一 夜物語』https://estar.jp/novels/26218762は、おなじ大枠のカテゴリーを共有するジャンル小説だといっても、昨今ますます隆盛をきわめる異世界転生系とは大きく一線を画すファンタジー作品である。ゲーム的想像力に創作性の多くを頼る現在のメインストリームには安易に流されず、しかし無理に抗うこともなく器用に乗りこなしもするこの作者らしい、そして同時に新しい、クリエイティヴな挑戦でもある。「剣と魔法とネヴァー・ネヴァー・ランド」の世界とストーリーにいわば歴史性をもちこみ、現実的に描こうとしたハイファンタジーの大人向け物語。
傷跡が幾筋か残る引き締まった精悍な体つき、筋骨たくましいその身に駱駝の革マントを纏い、曲刀を提げた戦士モルテザ。すでに過去の闘技大会で優勝した数だけ、王家の紋章が刻印されたターコイズの飾りが六つ、首に。
広大な版図を治める大帝国パルディーゼ、残虐を好むシャフリヤール王の主宰のもと首都パルサでシズラ太陽暦の三の月、春祭ノウルーズにいちばんの勇者を決定せんとする武闘試合が催される。アミブ半島に住むカラン部族の集落出身であったモルテザはそこで戦い勝ち抜き、国王に認められ栄誉と地位を得るために、はるばる故郷サラディバから沙漠を越えやってきたのだ。
すべては生き延びるがため、そして殺し合いに血が騒ぐ闘争本能のため。
しかし、夜な夜な王にお伽噺を語って聞かせているという絶世の美女シェヘラザードのことを知り、じかに彼女と謁見することになり、謎めいたお告げを囁かれるにおよんで、新たな使命にモテルザは燃えたつ。光の神アフラと闇の悪魔アンラの争い。オアシスの森でランプの魔神に護られて眠るという美姫。はたして神秘の森の奥深くには何が存在するのか。苛酷な死闘を制するのはいったい何物なのか。みずから命をあずけ狂王の贄となり身を捧げたシェヘラザードを救うことはできるのだろうか。
千一夜物語として名高い説話集には、個別に独立してとりあげられるエピソードもある。なかでもとりわけ、アラジンと魔法のランプ、アリババと40人の盗賊といった話はアラビアンナイトの世界観から派生したもので、現代でも世界中で大勢に親しまれる、いまでいうスピンオフだ。使い古されたそのような古典的な恋愛ドラマや冒険譚のキャラクターや基本設定などをランプの精のほかはあまりもちいず、キーワードを小ネタ的に遊び心で随所に登場させるだけで、アクション要素の多い幻想小説という一味ちがった方向性へと進めた発想と手腕はすばらしい。
語り部シェヘラザードと国王シャフリヤールを外枠の、千夜一夜物語のフレームに位置するストーリー設定や背景とせず、物語そのものにとりこみ溶けこましたのもすぐれてユニークな着想だ。あるいは、物語の外側を描いたともいえる。
著作権のない古来伝承されてきた異国の民話を二次創作してみた、というのが作者の意識するところかもしれない。歴史的な資料にもとづきアラビアンナイトの事実性をあらためて検証し追求したというわけでない以上、本作品はアラビアンナイトというフィクションを独自に拡大解釈したファンタジーとでもいうような、純然たる創作物にほかならない。実在したかどうか定かでないシェヘラザードという登場人物を現実化し、千夜一夜物語の生まれた背後の事情とその後の物語を描きだそうとする創作モチヴェーションとスタンス、物語の外側を拡大し物語化しているという側面に注目すればメタフィクションの一種ともみなしうる。もともと虚実ないまぜに時間と民間を経て変化しながら成立したとされる伝説的な物語に、さらなる虚実の絵の具を幾重にも塗り重ね拡げていくメタ的な物語。
現実的に幻想の世界を描写し、虚構のストーリーにできるかぎり現実感を加味しようとする方法論とは、たとえば先述の簡単な梗概にでてきた固有名詞の羅列にもあらわれている。ほかにも作中はじめのほうから順にためしに挙げてみるだけでも、「アルフィー(千の人)」であるとか、「カンディス(主に貴族の貫頭衣)」であるとか、「カーイド(軍司令官)」「バザール(市場)」「ハーン(宿)」「イーワーン(全面開放型のアーチ)」「ダルガー(来客応対の為の空間)」「ダラン(中庭に続く廊下)」「ギャッベ(粗い)」「シャルワール(サルエルパンツのような)」「ハリーサ(小麦とバターを混ぜた肉料理)」「マースト(擬乳)」「ナーン(パン)」等々、基本的な衣食住をはじめ各種の名称から単位などの形容にわたるまで、多岐にわたっていくつもの実際のペルシア、アラビアの言語や文化のガジェットで、あざやかに物語は彩られる。それらしき架空の地名や人名も豊富に織りまぜ。
本作は実在する、ないしは実在した、もしくはしそうな単語、道具、伝承などにもとづくさまざまな意匠で、硬質でありながら叙情ゆたかなリアリズムを演出し、ふさわしい雰囲気を醸しだしす。さらにはそれら虚実のきらびやかな装飾にくわえ、性と暴力の場面を挿入することによって、きわめて臨場感にみち緊張感にみちたダークファンタジーとなっている。
以上のような、従来からこの創作者が得意とする技巧的に高度なエンターテインメント性も、こまかい情報収集と入念なリサーチに裏打ちされた博学な知識も、申し分なく成功していて完成度は非常に高い。とはいえ、ファンタジーというジャンルに大きく舵を切った本作にかんするかぎり、しかも長篇作品であるため構造上よけいに、致命的ともいえる欠点が露呈してしまい、残念ながらとても成功しているとはいいがたい部分があるともいわざるをえない。
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