想い、呪い、ひとときのつながり──真辻春妃『天使のささやき』『ひそむ悪鬼』

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天命に迷い、導かれ  悪意の移動とは真逆ともいえる象徴的表現が、連作『天使のささやき』における「想いの糸」である。死者の魂や生霊などといった幽体(ゴースト)にまつわる話じたいはめずらしくない。ちなみに、ポルターガイストといったお馴染みの用語にもふくまれる、ゴーストと由来をおなじくするドイツ語のGeist(ガイスト)という言葉には、精神というニュアンスも含意される。  本作品の独創性は、幽体(ガイスト)と生者とのあいだに特定の条件が課されれば、ないしは重なれば自然発生するという「想いの糸」なる独自の設定を導入したところにある。その特殊な設定兼アイテムをもとに、天使という存在があらためて見直され、特別業務を担った者として新たに定義づけられる。成仏するしないで霊魂の形が異なるであるとか、あの世にいくか転生するかといった選択肢のいかんであるとか、物語の広がりと深みが従来の幽霊もの天使ものより加味されたことによって、多様な世界観が形成されえた。  ヴァリエーションが多様でゆたかなのは実際、収録された個々の短篇を読んでもわかる。突然ゴーストとなり戸惑いながら「想いの糸」の意味と自分の正体(アイデンティティ)をつきとめようと奮闘する成長物語(ビルドゥングスロマン)から、スピンオフ的な後日談や別人物の視点で見た(サイド)(ストーリー)、天使のひとりにスポットをあて描かれる語られざる秘話、願いが叶うとされる「天使の羽」をめぐってさまざまに繰り広げられる恋愛ドラマ等々。  いずれも、実写でもアニメーションでも、またドラマでも映画でも、いくらでもいかようにも映像化可能とおもわせるほど、各エピソードはストーリーも登場人物たちも生き生きとした魅力にあふれている。すぐれて絵的かつ映像的で、ドラマティック。それぞれに印象的な絵や人物が自然と浮かぶし、場面(シーン)場面(シーン)を随所で鮮明に想像させる。おのおの別個の人生(ドラマ)を描きつつ、じつは人物の関係性や時系列的に前後がゆるやかに連結(リンク)しているという仕掛けがあるのも心憎い。  キャラクター先行型からプロット中心の物語(ストーリー)創作(メイク)にシフトした今作は、作者にいつものとはまたべつの、新しい、発展性のある方法論を見いださせたのではないだろうか。むろん、キャラクターをつくりこむところからこの創作者のストーリーメイクがはじまるのがこれからも変わらぬスタンダードだとしても、そして本作もきっかけはそうだったのだとしても、プロット的に多様な広がりと深みをもったことはたいへん意義深い。プロットの力からキャラクターがより多く生まれ、よりこまやかに描かれえた、そういえるかもしれない。  ちょうど一年近く前に、おなじ作者の物語創作についてのエッセイを時評「誰でもこれで小説が書けるようになる(かもしれない)──都筑道夫『都筑道夫の小説指南』/真辻春妃『真辻春妃のストーリーメイク術』」の回でとりあげ、補足的に論じた際に筆者はこう述べた。  物語の作り方(ストーリーメイク)と銘打った『メイク術』でも、じつのところ「物語の着想を得たら、次に考えたのが設定」といったように意外と肝心なところがあっさり飛ばされている印象なのだ。そこに謎めいた飛躍(ジャンプ)がある。物語の組み立て方や書き方、つまり構成力や表現力といった面での物語の作り方はわりあい充分に説明されているものの、物語の核となるアイディア、根本の発想法そのものについてはほとんどふれられないままなのだ。  べつだんこのことは『メイク術』の不備というわけではない。タイトルが化粧のメイクにも引っ掛けてあるのだから、イメージ的になおさら論の進め方はそうなる。しかしもし続篇や別ヴァージョンの『メイク術』が今後ありえるなら、オリジナルのアイディアとは何か、独創的な物語をどうやってつくるのかという、困難な領域に踏みこんだ議論の展開にも期待したい。  本作『天使のささやき』中の挿話のひとつ「願いのシンクロナイズ」で作中の主要人物ふたりが交わす創作についての会話は、みずから物語をつくる者の心情、つくるに際しての思考をあらわにし、物語の舞台裏そのものを類比的かつ相似的にあきらかにすることで、階層の異なる世界をうまくナチュラルに二重写し(オーヴァーラップ)して奥行きのあるものになっている。のみならず、まさに上記の要望に真正面から応えたものにも。  ふたりのあいだで交わされる創造的な対話とは、参加者間の討論/討議/議論をさすディスカッションや集団の発想/思考法であるブレインストーミングにまさしく等しい。創作者がひとり、いつも頭のなかでおこなっていることを具現化した、擬人化したともいえる。個人の脳内では、あのようなディスカッションやブレストが無意識に起こっているといっても過言ではない。  ジャンル変更を余儀なくされた作家は、小説のネタになるようなファンタジー的アイディアを求めていた。偶然「想いの糸」でつながることになった愛読者から、「願いを叶える」というキーワードがあたえられる。そこからエンジェル数字(ナンバー)の話になり、誕生日にその数字をデジタル時計で目にしながら時間内に願えばとか、いやそれでは簡単すぎるし試す人間が多すぎるということで七日間しか効果がもたないと限定的にしなければとか、こまかい具体的な条件をいくつか設けることで厳密性や実用性が増し、ますますおもしろくなることに気づく。つぎつぎとアイディアをたがいにだす。どんどん発展的に考え盛り上がる。いちおうの最終案となった「時の番人」にまつわる設定や世界観など、それじたい実際に単体で充分に作品化できるほどユニークな着想で、よく吟味されたものである。  フェーズのちがう世界を重ねることは、作中の作者と読者をつなげることだけを意味しない。作品外の、つまり物語の外部に存在する作者と読者とをつなげることにもなる。物語の内部では精神と肉体をもまた。  天使とはそもそも大雑把にいってしまえば、天上と地上、来世と現世、生と死、神と人間などなどを媒介する存在としてある。「想いの糸」が生ける人と人とをつなぐものだとするなら、天使はそのさらに高次の層から別次元すら行き交うことのできる者にほかならない。  タイトル作の第七(セヴンス)(エピソード)「天使のささやき」で起きる予想外で、感動的な救済。出会い。奇蹟。縁だとしかいいようのない、良いも悪いもきわめて偶発的で、無根拠で、ときに不条理でも微弱でさえもある、つながり。悪意のようにそれが一方的で暴力的なものになる場合もたしかにあるだろう、でも、だとしても、天使が媒介したとしかおもえないような、運命的で奇蹟的な「想いの(インター)(ネット)」もきっと存在しうる。そう信じさせてくれる。ひとときでも。そう、人生というひとときのあいだ。
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