14人が本棚に入れています
本棚に追加
新潮流の児童文学×ミステリー/時代小説×ミステリー──ファランクス『「国語の教科書」殺人事件』/春野わか『山隠し』
このまま継続して創作され後続の作品・作家もあとにつづく新しい潮流となりうるのか、それとも、単発に終わり多く大きくは育たず泡となって消えてしまうのか、以後の出方や先行きがとても気になるのが、ファランクスhttps://estar.jp/users/686503089『「国語の教科書」殺人事件』https://estar.jp/novels/26242075と春野わかhttps://estar.jp/users/146251531『山隠し』https://estar.jp/novels/26265963である。前者は不定期ながらまだ連載中の一話完結形式をとる連作短篇集、後者は山をテーマにしたコンテストへの応募作の短篇小説で、どちらも明瞭にミステリー/推理小説の構造と要素をもつ。『「国語の教科書」殺人事件』はタイトルからも知れるだろうが、『山隠し』にかんしては作者みずから歴史・時代にジャンル登録していることでもあるし少々説明が必要だろう。
昔話や童話をモチーフに、あるいは作中にとりこんだり見立てに利用したりした作例はけっこう多い。ほんとうは怖いといったような、むかしからよく知られた口承文芸の、残酷性やシヴィアな面などにあらためて焦点をあてた異本にもとづく別解的な真相の、人間関係も情念もどろどろしたサスペンス仕立てに味つけしたマンガがひとむかし流行ったことからもわかるとおり、メルヘンととくにミステリーは相性がいい。現代ふうの新解釈を施した話だけでなく、近年では昔話や童話の語り口をそのままつかい、童話の世界観のなかで事件が起こり謎解きをするといった創作メソッドも定番化しつつある。
歴史的背景をもとに過去の時代を舞台にした物語にも、ミステリー要素は往々にして欠かせない。歌舞伎から継いだ時代劇のドラマツルギーを文芸に移したという側面も単純にあるとはいえ、時代小説がそもそも講談の流れからきたものであること、とりわけ捕物帖の強い影響下で形成されたことを鑑みればそれも当然といえる。よもや時代小説の書き手が半七のはの字も知らないとはおもわない、いや、おもいたくはないが、なかには岡本綺堂の名すら聞いたこともないといった者も少なくない数いるのかもしれない。シャーロック・ホームズを日本しかも江戸に移植したという当初のねらいと出自を再考するなら、西洋画への感化と反撥から抽出された日本画というカテゴリーにも似て時代小説は、そして時代劇なども同様にまた、見えないある種のねじれみたいなものがあるということは知っておいても損はない。
探偵小説から派生した時代小説がミステリー/推理小説の様相をときに見せたとしても、だから何もおかしくはない。歴史的な出来事または人物などには事実確認がどうしても不確定なもの、未解明なもの、無理でむずかしいものも多々ある。だから、史実の謎に人は惹かれる。であるなら推測の幅を自由にし、であるがゆえ想像を存分にふくらませて物語として、娯楽としてたのしむのもいい。創造する側も受容する側もこの場合、歴史を新たに解釈したドラマをというよりは、改変したドラマをといったほうが厳密には正しい。
昔話とか童話などにミステリー要素や謎解き要素が加味されるというのも、そういう意味では納得のいくことである。あやふやな部分や曖昧な解釈の余地を残す傾向にえてしてなりがちなメルヘン的物語は、とかく答えのはっきりしないところが多い。そのため、読後すっきりしないこともしばしばとなる。大勢の人々が謎解きを試みたくなるのもうなずける話である。
さしあたり、こういった文脈から本稿で論じたい二作をとらえることができる。
児童文学を主とする教科書に掲載されるような古典的な文芸作品を二次創作的に、本格ミステリー/推理小説としてオリジナル作品化することに『「国語の教科書」殺人事件』の眼目は定められている。ただし、いまのところミステリー要素がもともと多少なりともあるような作品は題材になっていない(これはまったくの余談になるが、筆者は以前から芥川龍之介の『藪の中』の謎解きを黒衣探偵シリーズであつかう予定にしているので、もしかするとネタがかぶる可能性も将来あるかもしれない。が、それはそれでかまわないだろう、仮にかぶっても個々に異なるテイスト異なるロジックの話になるはずである)。
かといって、原典に存する謎を解明してみせようと、文学的な新解釈が提出されるというわけでもない。あくまで眼目は、原典に独自の事件を導入し真相究明を描くことにある。換言すると、文学史上の名作をミステリー化する試みなわけだ。
時代ミステリーとでもいうべき『山隠し』は、戦乱期の地方で起きた謀略の真相を追うというすじ。見かけ上のストーリーはいかにもありそうな、というより、あたかもあったかのような話の内容である。必然的にこの舞台装置でないと成立しないような雰囲気の謎と謎解きになっていて、さっと一気に考え書かれた短く簡潔な内容ながら、作者のたしかでたくみな計算がはたらいているのが窺える。
別々の作者ながらともに、かたや児童文学にミステリーを、かたや時代小説でミステリーを、前面におしだしたユニークな演出をくわえていて非常に魅力的で独創性が高い。
最初のコメントを投稿しよう!