第四回 神話の果ての「ミステリー」

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 第四回 神話の果ての「ミステリー」

 島田荘司の「本格ミステリー論」が発表されてもうかれこれ四半世紀にもなる。当然その後、さまざまな考えや立場の人間から幾度となく議論、反論されてきた。なかには、文壇の保守勢力による意図的な無視や内外からのたんなる反発という議論の発展阻害もあったが、再論という形で島田も続編の批評『本格ミステリー宣言Ⅱ ハイブリッド・ヴィーナス論』や綾辻行人との対談本『本格ミステリー館にて』で、おもだった批判には真摯に応えていく。それは本格不遇の時代からようやく脱する絶好の機会と判断したためでもあったろうし、当時デビューした本格派の新人作家たちが厳しいバッシングにさらされていたのを援護射撃する必要性からでもあったにちがいない。  そういった一連の騒動を歴史的に正確に、あるいはゴシップのごとくおもしろおかしく記録することが本稿の目的ではないので、論争の中身を丹念に追うことはしないでおく。島田の論は、批判に応答するうちにだんだん整理され、より理解しやすく、より洗練されていった面もあるものの、かたや定義論で当初あったものが、半ば本人の意図とはいえ、方法論・創作論へと変化したせいでわかりにくくなってしまったきらいもある。無用な誤解を生み、論争が建設的にならず、(いたずら)に混乱を招いて平行線をたどったのには、島田の斬新な論点や提案が保守的な価値観と衝突したということに起因するだけでなく、島田自身の批評的モティベーションの微妙な変動がその一因となっているのもまた、まちがいない。  しかし重要なのは、島田が「本格ミステリー論」で何を主張しているか、その大事な部分を、その革新的なエッセンスをできるかぎり真摯にくみとることであり、あらためてそこから問題点を浮き彫りにすることではないだろうか。議論はすでに尽くされたように見えても、「本格ミステリー論」をめぐる従来の批判的観点には重大な見落しがあったように筆者には思われる。おそらくそれは他の論者のみならず、島田荘司自身にもつきまとっている、いわば盲点のような核心的問題にほかならない。  そこへいたるまでに、前提とされるいくつかの周辺問題をクリアにしておこう。
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