第二回 探偵小説と推理小説

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 第二回 探偵小説と推理小説

 大坪砂男は高木彬光からの反論へ応えるかたちで、こう主張している。  君の作品を読んで感じるものは、その挑戦的作風にも(かかわ)らず、本格探偵小説という原型に対する挑戦ではなくて、その基盤の上に立って既成トリックの組合せや解釈に新味を創作して行く改良派ではないのでしょうか。  おそらくこの指摘は、大坪砂男がそれより前に書いたエッセイ「推理小説とは」の文中の、以下の探偵小説の比喩に対応する。 (中略)ポーは彼の大好きな軽気球のように精神を()ばして探偵小説を創作し、ドイルあたりで探偵グラウンド形成と相成(あいな)ると、選手も花々しく(つど)った。  この競技場が『探偵』と名附(なづ)けられたことは重大な意味合いを含んでいて、この文字が人類に与える印象は、探偵であるから犯罪の場で働き、犯罪では何と云っても殺人事件。事件は犯人逮捕で終了だから犯人捜しは最重要で、簡単に(つかま)ったのでは面白くないから犯人は狡猾(かつ)巧妙なトリックを使い、でも犯人が上らなくては義理人情にそむくから、最後に名探偵が大演説をして見事なフィナーレ。拍手! と、これが本格探偵ものと称せられるのは至極合理的ではないか。読物の中でも相当な椅子を占め、読者百万を獲得する必然性に恵まれているのだから、選手たるもの大いに安心して努力すべきである。  多少皮肉っている向きもあるものの、ようするに高木彬光のような作家のことを探偵小説というジャンルにおけるその優秀な選手のひとりだと、大坪砂男はとらえているのだ。「挑戦的作風」とは、高木の最初期の長編『呪縛の家』や短編『妖婦の宿』などの、作中にいわゆる「読者への挑戦」が挿入されているようなゲーム的形式性のことを端的には指すと思われる。  その反面、推理小説については、そういった探偵小説というものとはちがう新しい文学であると、「革新思想」「天動説を地動説にまで合理化したコペルニクス的旋回」などとやや誇張ぎみに表現してまで再度、強調している。
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