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降りしきる雨、この雨も『止むこと』を無くしてしまったのかもしれない。そんなことを考えながら僕は最初に鞄の中身をチェックした。
彼女からの未読メールが表示された携帯電話、定期を買うためのお金が入った財布、下書き用に書いた履歴書、数本のボールペンが入った筆箱。ハンカチとティッシュはズボンのポケットに入っている。
普段持ち歩いている貴重品は全て手元に残っていた。就活に必要な一式は家に置いてある。思い出の品なんて物は無い。第一、無くして泣くほど悲しい物を僕は持ち合わせていない。
つまり無くしたものは『物』ではない。僕はそう定義した。
既に涙は止まっており、今では先程の悲しみ自体が嘘だったのではないかと思い始めた。しかし止まない雨が僕の居場所を用意し続けてくれている。
次に僕は『者』について考えてみた。者を無くしたというニュアンスなら、それは亡くなったか別れたか、引っ越したかに限られるだろう。
父はいつも通り仕事で家に帰ってこないし、母は不倫相手の家に泊まりに行く。妹は友達と一緒に春休み旅行に行って家にいない。しかしそれが悲しいと思う心は既に僕に存在しない。それを無くしたところで僕が『悲しむ』理由には当てはまらない。
友達や知り合いはどうだろう?友達の数に平均があるのなら、僕は友達が少ない方だと思う。それでも、莫逆の友と呼べる人ばかりだ。そんな彼らが引っ越しや他界した話は全く聞いていない。明日もきっと会うはずだ。
そう考えると『者』という可能性も消えた。僕が無くしたものは『物』でも『者』でもないらしい。
残るは概念や感情のような『モノ』。感情が無くなるって何なんだ?概念が無くなるってことは、知識の欠落?もしも感情や知識を無くしたとするなら、それを無くした経緯が理解できない。経過の無い結果は無いのだから『モノ』を無くしたわけではない。
それならば僕は『何』を無くしたのか。それはきっと僕にとってとても大事なものだったはずだ。でなければ僕は泣かない。唯一僕の家族と言えた兄が死んでも泣かなかった僕が泣くはずがない。
その時、ふと、あることを思い出した。それは『物』を探している時。財布や筆箱と一緒に確認した携帯電話。
その携帯電話には一件の未読メールが表示されていた。
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