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コーヒーとトーストの匂いに目を覚ますと、
彼女はもうすっかり出かける支度を整え、仕事の顔をしていた。
鮮やかな水色のスーツが、寝起きの目に眩しい。
「あ、やっと起きた?」
「……ん~……おはよ。もう行くの?」
「もう、って、もう月曜日の朝7時半なの!
いいご身分ね、大学生は」
「俺、月曜日は講義採ってないもん」
「私、今日は遅くなるから」
「そっか。じゃ俺も今日は自分ちに帰るかな」
もそもそとベッドから這い出て、玄関でヒールを履いている彼女を後ろから抱きしめ、
肩越しに唇を寄せる。
と、彼女の掌が、俺の顎をグッと押し上げた。
「んもう朝から! 化粧直ししてる時間なんかないの。おあずけ!」
すっかりお仕事戦闘モードになっている彼女は、邪険だ。
「ちぇ……ワンワン!」
「何それ」
「おあずけ喰らった犬」
「バカ」
彼女が声を立てて笑うから、情けないけどちょっと嬉しくなる。
「じゃね」
「ん、行ってらっしゃい。転ぶなよ、階段濡れてて滑るから」
「うん、ありがと」
アパートの階段から、いつもよりちょっとゆっくり目の、彼女のヒールの音が響く。
二階にある彼女の部屋の窓から覗くと、
水溜まりに水色のスーツを映しながら、アパートの駐車場を小走りに駆ける彼女が見える。
いつもの朝の光景。
雨上がりの9月の朝は、夏の熱を少しずつ冷やしていくように、すっきりと澄んでいた。
彼女がちらちら見遣る左手首にあるのは、
俺がなけなしのバイト代をはたいて誕生日にプレゼントした、細いブレスレット風の時計。
駐車場を抜けて、通りに出る。
横断歩道を渡って、駅に向かって集まる人混みの中に、水色のスーツが紛れていく。
まだ見える。
まだ、見える。
あ、……。
自分の中で、何かの比重が、
かちり、と変わった気がした。
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