はじまり

2/46
前へ
/136ページ
次へ
早紀は信号待ちの交差点で ふと空を見上げた 朝のオフィス街の空は 薄日が差して淡い水色だった 10月のはじめにしては気温が低く 足を止めると冷たい風が通る トレンチコートの襟元を手でにぎり 赤く光る信号に視線を戻した *間野 早紀* 短大を卒業してすぐ 求人募集をしていた 大手カード会社に入社した 【 職種は営業事務。 土日祝日休み。 賞与は年2回 】 特にやりたいことも 目指すものも無かった早紀は 条件欄にあったこの一文で 就職先を決め 今年で入社4年目になる 向かいの信号の下には 周りのビルへ出勤していく人や 乗り換えの地下鉄へ急ぐ人で 何列にも重なっている その信号の奥 大きなビルにはめ込まれた 電子ビジョンに 今日の占いが流れているのが 目に入った 『今日のふたご座 出会いのチャンスがいっぱい ラッキーアイテムは 携帯電話 お気に入りの靴』 早紀は手に持っていたスマホを見た 「出会いと、携帯に靴ねぇ…」 つぶやいたところで 信号の色が青に変わった 人の波に押されるようにして歩き出す その時… カツンっ! 音と同時に左足がもつれ身体が前に傾いた ー あっ、転ぶっ ー そう思った瞬間 少し甘くて我の強い香りとともに腕を掴まれて 身体がふわりと後ろに戻る 自由のきかない足元を見ると 横断歩道の真ん中にあったマンホールの溝に ヒールを取られていた 「大丈夫?」 その声に掴まれた腕の方を見ると 少し褐色の顔が早紀を覗き込んでいた ダークグレーのスーツに 黒のコート 少し褐色の顔 片方の目尻の少し下に小さなホクロ… 年齢は30代くらいだろうか 「あ、ありがとうございます 大丈夫です」 慌てて姿勢を戻す 「それなら良かった」 男性は口元だけ笑うと足早に横断歩道をわたり 人の波に見えなくなった マンホールにハマったヒールを抜いて 早紀も急いでわたり終え 見えなくなった黒いコートを探したが もう確認することは出来なかった 早紀は掴まれた腕をさすった 強い手の感触と 甘く、でも我の強い香水の香りが 少しだけ残っていた
/136ページ

最初のコメントを投稿しよう!

143人が本棚に入れています
本棚に追加