プロローグ

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 「落とし物」の神様がいるなら、自分はその遣いか何かなのではないだろうかと思う。そんな神様がいるかは知らないが、そう思ってしまうくらい「落とし物」に敏感だった。意識して下を向いているわけでも、常に周りに気を配って歩いているわけでもなかったが、なぜかよく「落とし物」を発見してしまう。  それが、落とし主が分かるような瞬間なら、すぐに拾って渡せるし、ちょっとお礼を言われて、いいことをしたという気持ちになれる。だけど、そういう瞬間はそんなに多くない。大体は、誰にも気付かれず(気付かれているのに拾われないのか)、申し訳なさそうに落ちていることがほとんどだ。それでも、気付いて自分で拾えればまだいい。「ねこばばじゃないですよ。「落とし物」を拾って届け出るところですよ。」と心の中で唱えながら、「落とし物」をこれ見よがしに手に持っていくという煩わしさはあるが、無事に警察なり駅員なりに渡せれば、自分の役目は果たせたと思えるし、これまたいいことをしたという気持ちになれる。  厄介なのは、気付いたものの自分で拾えないときだ。「落とし物」の存在を感じながらも、自分が急いでいて拾う時間を取れないとき、落ちた瞬間は気付いたが、誰が落としたかまでは分からず、人ごみをかき分けてまで拾う気持ちになれないとき、そんなときはちょっとした罪悪感が残る。他の誰かが拾ってくれているだろうか。持ち主が気付いて戻っているだろうか。そんな些細なことが気になってしまう。いっそ最初から気付かなければよかった。自分が悪い事をしたわけではないにも関わらず、なんだか後悔してしまうのだ。誰のものとも分からない「落とし物」を気にかけてしまう俺は繊細過ぎるのだろうか。    だから、これは、「落とし物」を気にかけ過ぎてしまう俺に、「落とし物」の神様が用意してくれたプレゼントだったのだと思う。
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