第1章

4/11
前へ
/11ページ
次へ
の?」と、知ってはいるけど考えたくなかった悪魔の囁きを聞いて しまったのである。  僕にとって最大の鬼門は、ハーフマラソンを二時間二十分以内に 走るということだっだ。しかも三浦は平坦な馬堀海岸と違ってアッ プダウンの連続になっているトリッキーなコースである。正直言っ てトンビでも海鵜でも何でもいいから、翼が欲しいと思ったもので あった。  僕の特訓はまた激しさを増した。体重もかなり減ってきた。そし て三浦ハーフマラソンまで後一週間となり、制限時間は何とかクリ アできそうにまでなった時に、股関節が悲鳴を上げたのである。内 出血までしていた。  何とか歩くことは出来たが、もう一歩も走ることは出来なくなっ てしまっていたのである。既にプロフィールムービーはほとんど完 成していて、僕が三浦マラソンのゴールを駆け抜ける瞬間の写真を 飾るだけになっていた矢先のことである。  獣医師の彼女から「犬猫の痛み止めだけど注射しておく?」と言 われ、同じほ乳類だからそれもいいかとも思ったが、ここは冷静に 判断し、整形外科に行ってみたが、湿布薬を渡されたうえに、安静 にして下さいと、僕にとっては死刑宣告に等しい、診断を受けてし まったのである。  そこでやむを得ず、名医の誉れ高い、野獣先生のお世話になるし か救いの道はないという、家族会議プラス彼女の結論に到達したの であった。  いつも閉まっているように見えるが、母は診療日を知っていて、 その日に予約しようとすると「予約は受け付けていないけど」と言 われてしまった。それも実に面倒くさそうに。  それならば「直接行ってもいいですか」と聞いたら「来なくてい いよ、僕のところに来ても多分治らないよ」と言うのである。忙し いんだから電話なんかしてくるなという、雰囲気がビンビン伝わっ て来た。  普通なら、「頼まれても行くか!」と怒るところだが、もう三浦 マラソンまで五日に迫っている僕は、ここは忍び難きを忍び、耐え 難きを耐え、昭和天皇の苦しい胸中と同じような気持ちで、「来る な」と言われた野獣先生のところに、のこのこ行ってみたのである。  僕が案内表示も何もない診療所のような所に入って行くと、先客 が数名いて、先生と思われる人が、僕を珍しいものでも見るように じっと睨むと、フン!という顔をして、すぐ目を背けて先客の治療 に当たっていた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加