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言われるまでもなく、自ら会社を退職して妊娠中絶をしようとし
たが、両親から責任を持って面倒みるから生みなさいという強い励
ましを受け、そして男の子を生んだのであった。
それからは、ソフトボールでオリンピック出場するという夢を断
ち、子供のために一生シングルマザーとして生きていく決心を固め
たところで、不倫相手の男は、娘二人がいるのに奥さんと離婚し、
家土地を含めて全財産を奥さんに与えて、お玉さんに結婚を申し込
んできたのである。そして晴れて入籍したのであった。
お玉さんの夫は、会社ではモテ男で有名だったが、さすがに家庭
内騒動が元で、課長補佐も係長兼務職まで解かれ、総務部門から営
業部門の主任ということで再配置されていた。
それでも、会社を辞めずにいたことから、横浜の社宅に入ること
ができたものであった。ようやく親子水入らずで生活できることは、
お玉さんにとっては、このうえのない幸せなことだった。
しかし、その幸せも、子供が小学校四年の九歳の時に、夫が五十
四歳で癌に冒されていることが分かったことから様相が一変した。
入退院を繰り返したため、夫は会社を一年間休職した。
給料の四割程度が支給され、癌保険の適用もあったことから生活
費や入退院費用はなんとか賄うことができたが、夫から、ある日、
「前の家族の元に帰りたい、娘の元で死にたい」
と言う信じがたい言葉を聞いたのである。お玉さんの心が凍りつ
いた瞬間だった。この九年間はいったい何だったのだろう。モテ男
は何て身勝手なのだろうと思って身体が震え、そして泣いた。
スポーツをやって競っていた者は、瞬時に自分が置かれている立
場を理解する。お玉さんは、迷わず離婚を決意した。前の奥さんに
夫の意向を一部始終を話し、若し、回復せず死亡した場合は、娘二
人が死亡保険金を娘が受け取るという条件で、夫を受け入れてもら
った。そしてお玉さんは子供を連れて両親のいる葉山町に戻ったの
である。
三 野獣先生に菜箸お玉さん
お玉さんは、元スポーツウーマンだけあって、均整がとれた身体
で、かなりの美人である。オリンピック候補者になってからは、随
分と週刊誌などに写真が載ったものであるが、当然ながら、ある日
を境に潮が引くように取り上げられなくなったが。
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