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(しまった、今日は土曜日だった)
なすすべもなく、隣にある亀ヶ岡八幡に入ると誰かの歌声が耳に入る。
「♪……今は見えぬ 人の姿……♪」
(あれは昨日のオルゴール時報のメロディーと同じだ……)
勝次は歌っている女性に話しかける。
「あの―― それは何という……」
女性はびっくりして、
「あっ、あの時のおっちょこちょい!」
初めて見る女性なのに、その反応に勝次もびっくりする。
「えっ? 俺がおっちょこちょい?」
女性は続けて、
「昨日の晩、駅前で女の人とぶつかったでしょ? 近くで見てたわよ。何をそんなに急いでいたのかしらね――」
勝次は苦笑いするが、再び歌の題名を聞く。
「ところで、その歌は?」
「ああ、これね。『真白き富士の根』よ」
勝次は感慨深く、
「これがあの『真白き富士の根』か……」
「でも昨日は会いたかった人にも会えなかったけどね」
女性は何かに気づいたように、
「あなたは逗子の人じゃないわね。それに人と会う約束? でもあれは6時近かったから、勝次さんじゃないわよね」
勝次はハッとして、
「実は僕、そのカツジさんです……」
千尋は想像とのギャップに、
「やだ―― 勝次さんって、もっとおじさんかと思ってた」
勝次思わず大きい声で、
「おいおい、またおじさんかよ。空港でも子供におじさんって言われたんだから」
千尋、噴き出しそうになりながら、
「でもね、子供からすると大学生もおじさんのように老けて見えるものなのよ。だから私もおばさんね」
「改めて自己紹介するね。わたし、緑島千尋」
「この名前は真白き富士の根の歌詞でもあるのよ。1番の『真白き富士の根、緑の江ノ島』それに2番の『ボートは沈みぬ千尋の海原』。やはりボート遭難と関係があるのね」
「ははは、君は歌詞の1番が苗字で2番が名前か。面白いね」
「ちょっと、変なところで感心しないでよ」
「あ、それからこの花。昨日はごめんね」
勝次は思い出したようにポケットからつぶれたチューリップを取り出す。
「ああ、昨日の黄色いチューリップね。黄色い花はお店にチューリップしかなかったの。花言葉、知ってる? 確か『実らぬ恋』だったかな」
勝次はその言葉をかき消すように、
「いやな花言葉だな。でもこれがつぶれたってことは、実らぬ恋がつぶれたってことだよね」
千尋はチューリップを受け取りながら、
「フフッ、それってかなりの屁理屈ね」
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