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もとより、分かっていたことだ。彼が私のことをどうでもいいと思っているわけではなく、彼は、自分に自信がないのだ。仕事にだけは自信を持っていたが、収入が安定とは程遠いこと。そして、今まで、自分ひとりで生きていこうとしていたのに、自分が誰かを支えてこれから生きていけるのかと不安に思っていること。
けれどそれは、私がどうにかできるものではない。私は私なりに、彼を支えられるだけの力を付けなければならなかった。彼と同様に。
「そこでね、ある男の人に出会うのよ。唯人くん。私より二つ歳が上の人。彼は、ある画家の話をしてくれたの。その画家は、描くことばかりに夢中になって、奥さんも友人も失った。そんな話をしてくれた時に、彼、言ってたのよね。“もしかしたら、奥さんたちは気付いて欲しくて離れたのかもしれないね”って。そこで、気付いたのよね。私が、どれだけ盲目に恋をしていたのか」
恋は盲目、という言葉は、美しい表現として遣われるものだと思っていた。
盲目。
私は、そこで彼のことを思い浮かべる。彼との結婚についてのこと。私も何かに、盲目になっていたのだろうか。
「そうしたら、彼に伝えなきゃいけない言葉が見つかったのよ。もう一度、想いをぶつけるだけじゃなくて、ちゃんと伝えなきゃいけない言葉が」
おばあさんは少しそこで、息を吐いた。いつも、旦那さんの話をするときだけ、彼女は饒舌になり、そして、話しすぎて疲れが出てしまう。それは充分に分かっていたのに、私には彼女の話を止められなかった。このときだけは、生気のある顔をする彼女を、どうして止めることができただろう。
「その言葉がやっと浮かぶのに、別れてから半年以上も掛かったのよ」
そこまで言って、荒くなった呼吸に言葉を詰まらせた。
今日はもうやめましょう、喉から出そうになって一瞬言葉に詰まる。こんなに幸せそうに話しているのに。
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