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「……こちらが先日ご案内した新薬のサンプルです。では、よろしくお願いします。失礼します」
身体を折り曲げて頭を下げる水沢聖志に、偉そうにちょっと目線だけで挨拶を返しながら次のカルテを手に取る医者。
大学を卒業し、大手製薬会の営業部門へ就職してはや二年。
自社の医療用医薬品 を中心とした医薬情報(医薬品およびその関連情報)を、医療関係者(医師、歯科医師、薬剤師、看護師など)に提供し、医薬品の適正な使用と普及を図ること、そして使用された医薬品の有効性情報(効き目や効果的な使い方)や安全性情報(副作用など)を医療の現場から収集して企業に報告すること、そして医療現場から得られた情報を正しい形で医療関係者にフィードバック(伝達)することが営業の仕事だ。
医者と患者あっての仕事とは割り切っているけど、医者とのやり取りはいつまでも好きになれない。薬剤師の方がまだマシだ。
前から思ってるけど精神科の医者って、自分も病んでるよな。どうして「ご苦労様」の一言がないのかな。普通はあるよね。でも嫌な顔されないだけマシなのかな。
心の中で毒づきながら営業用スマイルを貼り付け頭を上げたが、医者はもうこちらを見ていなかった。医者の隣で指示を待つ看護師へ軽く頭を下げると、若い看護師は味気ない診察室には不釣り合いな笑顔になった。
聖志は百八十に届きそうなほど背が高く、モデル体型だと友達から羨ましがられる均整のとれた体躯をしている。程よくついた筋肉と姿勢の良さでスーツもよく似合う。彫りの深い顔立ちで子どもの頃は「濃い濃い」とからかわれたが、大人になるにつれコンプレックスは消えていった。周りの女性たちの評価が高まっていったからだ。
どこか憂いのある漆黒の瞳で見つめられると女性たちの胸は高鳴った。聖志は驚くほど真面目で、人見知りゆえ人間関係に不器用な面があった。それが余計に近づき難い雰囲気を作っているのだが、彼の内面を知らない女性にはミステリアスに映るのだ。
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