ただ、赤く濁る

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 一係の刑事が、煮詰まった赤ワインの様な顔色で迫り来ると、野副の襟首に、 じっとり濡れた手を掛けた。 「オマエのせいだぞ、野副! どうしてくれるんだ、オマエが邪魔さえ しなければ、こんな事には!」 血の気が引く訳もなく、単に無精ヒゲのせいだろう、いつもより白んだ 顔つきで、野副は涼しげな眼差しを相手に延々と焼き付ける。 「こう言う時こそ、あいつの影響だって言うんじゃねぇのかよ」 つい取り乱した事で、ひた隠しにして来た粗が出てしまえば、それを 見逃さずに見透かすのが、野副の悪趣味の一つである。 「正直、どこかで思ってるんだろ? こんな事は有り得ねぇ、タチの悪い 被害妄想だって。それでも言われるがまま、刑事の本質をいつしか見失う。 意志の疎通にまとまりがねぇなぁ、天下の一係は!」 概ね、いや、全くそっくりそのまま図星だった。 反論の余地もなく、威勢も刈り取られると、歯を食いしばりながらも、 野副の首元を絞り上げた手から、空気が抜けて行くのが、よぉく分かった。  野副は辛島を脇目で見た後、すぐその視線の延長で、どこかここに一人だけ 別世界の住人が混ざり込んだ様に、淡々と電話をかけていた橋爪を、 痛烈に非難した。  まだ明るいその日の夕刻。予定通り、辛島愁は移送された。 皮肉な事に、田端と言う若い刑事が飛び降りた事で、その混乱に乗じて、 より厳重に、秘密裏に実行された形だ。  結果として、誰もが想定外だったとは言え、小さな犠牲のおかげで、 門外不出、他言無用の核弾頭を運べたのならば、上層部としては御の字。 むしろ、田端の死に内心、称賛を送っている者がいても、不思議ではない。  それまでは半信半疑。と言うより、誰もいない真犯人を疑問に思い、無意味に ハンティングする狩人の、どうにもやり切れぬ哀れさが、あの場で認められて しまった事が、むしろ危惧すべき状況として植え付けられた。  遠く、下の方からじわっと赤らめ始めた夕空の頬。 口出し不要な神秘的なグラデーションは、無限に組み合わさった色彩によって、 複雑な暗示を示し、すぐさま、人間の感情に生き方を投影する。  どこで誰が、これをどれだけ、どの色として見ているのか。 染まらぬ色を、染めずにそのままいる者は、この世には少ない。 自分の色で、残さず隅々まで塗り潰す時が、己と言う人間の愛すべき本性なのだ。
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