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「そんな長いことは、待たせんよ」
不意に、彼がそんなことを言う。
“待たせない”
その言葉の意味を、私は測りかねた。一瞬、心に過(よ)ぎる存在があったからだろう。
「お前、彼氏は?」
言葉に詰まっていたところで、さらに不意を突かれる。
「あー、今は順調だよ」
少し、戸惑いながらそう答える。
和哉には、まだ彼の話をしたことはなかったはずだ。
「順調?」
「うん。色々あったけど、今は安定してる。もう付き合って1年くらい経つかな」
「お、長いじゃん」
読めない空気が漂う。そう感じてるのは、私だけなのだろうか。
たしかに、後暗いことなど何一つなかった。今の彼は、和哉に話せるだけの人だと思う。それだけ、大事に想っているから。しかし、和哉とのこの関係は、きっと、人には理解されないのは分かっていて、彼に和哉の話はできないでいた。
「珍しいでしょ。趣味も好きなものも合うの。不満もほとんどないしね」
そこまで言って、言葉を探した。少し足りない気がした。
「そう」
また、安心しているのか、違うことを考えているのか分からない相槌が返ってくる。
「でもね、和哉といた頃が、人生でたぶん一番幸せだったかな」
電話越しに、一瞬、息を飲むのが分かった。
「…なんだ、それ」
微笑混じりの声だ。
「和哉とは、ほら、全然好みがちがったじゃん、あたしたち。だけど、本当に燃えるような恋をしてた。今は、緩やかに日々小さな幸せがたくさんある。そのどっちがいいのかなんて、分からないよね」
“分からない”
それがきっと、私を唯一、不安定にさせているもの。
「けど、俺といるよりは、未来がある」
私の思考を止めるように、彼が口にした。声に、少し力が込もっていた。
そう、“未来がある”。
これは、私が求めているもの。彼とでは、足りなかったものだ。“今”ばかりが溢れていて、見えなかったもの。
「うん。あたしも、そう思う」
心からの同意を込める。
なぜこんなことを口にしたのかは、私にも分からなかった。変に繋ぎ止める気などなかった。彼が幸せでいてくれないと、私は困るのだ。
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