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どうにも興奮状態だった隆也は、狭い歩道の行く手に立っていた春樹を「邪魔だ! どけよ!」と乱暴に払いのけた。
なぜあんな乱暴な態度を取ったのかと、今では自分で自分を殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいになるのだが、たぶんあの時、自分と対局な平和で安穏な空間に居る春樹の穏やかな表情に、どうしようもなくむかついたのだろう。
パシンと音を立てて春樹の細い腕を払いのけた瞬間、まるで感電した時の様に春樹が体を強張らせたのが少し大げさに見え、ますますムカついたが、そのすぐあと春樹は隆也の手首をキュッと掴んできたのだ。
その手はすぐに離れたが、薄い茶色の目をまっすぐこちらに向けて、そのクラスメートは「ねえ、時間ある?」と訊いてきた。
「なんだよ」
かなり不愛想な調子で隆也は言った。
「そこのマック行かない?」
向かいのファーストフード店を指して春樹は言う。
学校では特に親しくしていたわけではない春樹の唐突な誘いに隆也は戸惑った。
「なんで?」
「家の鍵、失くしちゃってさ。家族が帰ってくるまで時間潰さなきゃなんないんだ」
「だから何だよ。勝手につぶせよ」
「頼むよ。一人で店に入るの苦手なんだ」
そう言って春樹はニコリと笑った。
あまりにその笑顔が突拍子もなく明るかったのに面食らい、渋々といった態度ながら、隆也は春樹に付き合うことを承諾した。
何らかの気分転換が必要なのが、少し冷静になった隆也の頭の隅にあったのかもしれない。
そのまま家に帰っていたら、きっと自室で悶々として、ぶつける先の無い腹立たしさに、のたうち回っていただろう。
春樹といると、不思議と気持ちが落ち着いた。
まるでその時、隆也が何に傷ついているのか、何を忘れようとしているのかを全て知っているように、春樹は他愛もない会話で隆也を和ませてくれた。
普段、そんなにお喋りでは無いはずの級友なのに。
春樹を見ながら何度もついさっきあった屈辱的な出来事を語ろうと思ったが、その和やかな空間はもう、そんな愚痴を言って曇らせるべきでは無いような気がしていた。
その必要も感じなくなっていた。
隆也がその日受けた傷は、その級友のお陰で化膿せずに済んだのだ。
もしかしたら春樹は自分にとって特別な人間なのではないだろうか。そう思わずにいられなかった。
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