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犬の散歩
近所の家で飼われていた老犬が死んだ。
犬を一番かわいがっていたのはそこの家のじいちゃんで、散歩をしている姿を何とも見かけたことがある。
そのくらいかわいがっていた犬が死に、気落ちしたじいちゃんは、どうやらまだらボケになってしまったらしい。
一応、家族や近所の人の顔は判るらしいが、もういない犬の名前を呼んだり、時には散歩に出かけたりもするのだ。
プラプラと垂れるばかりのリードを引きずったじいちゃんが、ゆったりと近所中を練り歩く。
滑稽だが可哀想なその姿に、誰も、もう可愛がっていた犬はいないのだと言えず、以前通り、じいちゃんは毎日散歩をしている。
晴れた日も雨の日も、今日みたいな雪の日ですら、だ。
それでじいちゃんが幸せならとも思ったが、さすがにこんな寒い日に出歩くなんて、体調的にも心配になる。
今まで黙っていたけれど、もうあの犬はいないのだと教えよう。そう思って俺がじいちゃんに近づいた時だった。
往来は人が踏みつけているけれど、道の脇には手つかずの新雪が積もっている。そっちに向かってじいちゃんが持っているリードがふいに伸びた。それと同時に、雪の上ないいくつもの足跡が現れる。
そっちに行くんじゃないと、じいちゃんがリードを引っ張ると、すぐにそれはさっきまで同様、じいちゃんの手元でぶらんと垂れた。
「あ、の…雪の日も散歩ですか。精が出ますね」
「ああ。こいつが連れて行けって、聞かんからなぁ。雨降っても雪降っても、散歩は欠かせんよ」
近づいた手前、当たり障りなく挨拶をすると、じいちゃんはにこにこと返事をしてくれた。そしてすぐにリードをぶらぶらさせながら去って行く。
振り向いて見送ったが、リードは垂れたままだ。でもさっきは確かに、雪に向かってピンとリードが張った。新雪の上に足跡がついた。
あの犬は死んでしまったけれど、それでも今もじいちゃの側にいるのかもしれない。そう思ったら、もう余計なことを言おうという気はなくなった。
あれからも毎日、じいちゃんは元気に犬の散歩を続けている。
犬の散歩…完
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