物書きの血

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「今日はちょっと報告があるんだ。」 私はそう言うと、父の前に一冊の雑誌を開いて置いた。 「これで…大賞取った。」 父は何も言わない。 「芥川賞とか直木賞とかじゃないけどさ。」 なんか言ってよ。 父の職業は『著述業』。子どもの頃はうまく発音できなかった。 学校に提出する書類に親の職業を書く機会は結構あって、その度に友だちに見られるんじゃないかとドキドキした。 誰かに父親の職業を聞かれると、『自営業』と答えることにしたのは高校生からだ。これだって嘘じゃない。 父が書くのは小説じゃなくて評論だから、小説家ではない。作家と言うとみんな小説家を連想するから、やっぱり『著述業』が正しいんだろう。 父は自分では『物書き』と名乗っていたけど。 父を『お父さん』と呼ばなくなったのは、たぶん中学生の頃からだ。 仕事がうまくいかなくて家族に当たり散らす父を、父親だとは思いたくなかった。 『隣のおじさん』と呼ぶと、初めは笑っていた父も次第に悲しそうな諦めたような顔をした。 それに気づいていながら、私はどうしても『お父さん』とは呼べなくなっていた。 父は大器晩成型だったようで、私が高校生の頃に出した何冊目かの本がベストセラーになった。 評論がそんなに売れるのは珍しいことで、周りに散々もてはやされた。 ついに1位を取れるかというところで、人気ロックミュージシャンの自伝に負けてしまい、大層悔しがっていた。 そのミュージシャンの顔も名前も知らなかったくせに、何年も経ってからテレビのCMで見て、 「こいつがあの時、本を出さなかったらな。」 と呟いていたのがおかしかった。 本の売り上げとその本の価値はイコールじゃない。 そんなこと百も承知の父が悔しがった気持ちが今ならわかる。 父と同じ道に進もうと考えたことは1度もない。 それどころか、私は父の本を1冊も読んだことがない。 ゲラ刷りの校正を手伝わされたことは何度もある。 そういう時はこれでもかとアカを入れてやった。 私の方が文才はある。そう思っていた。 父が書いていたのは小説じゃないから。
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