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妖しく光る眼は獲物を見つけた野獣のように血走っている。
その彼女の表情は、この覗き穴を通して見てきた中で最も邪悪なものだった。
月並みな表現ではあるが、それはまさしく鬼の形相だった。
彼女は静かに片足を前に出し、一歩こちら側へ踏み出した。
俺はドサッと音がするほど尻もちをついて壁から離れた。しかし、向こう側から聞こえてくる足音は次第に、そして確実に大きくなっていった。
押し迫ってくる恐怖に俺の足腰はガタガタと震えて立ち上がることさえ叶わず、ただ少しでも壁から離れる為に後ずさりをするのがやっとだった。
ゆっくり忍び寄る足音の気配がピークに達した。次の瞬間――
――バァンッッッ!!!!
いきなりとてつもない衝撃音がするやいなや粉塵が立ち込める。やがて視界が晴れるとともに現れたのは、壁を突き破って顔を覗かしている鉄のバールだった。先程まで存在していた針の穴のような覗き穴は、大人がくぐり抜けられそうなくらいに広がっており、そこから突き出たバールは先端を仕留めたばかりの獲物の赤い血で濡れている。
「日頃から常に視線を感じると思っていたが、なるほど、そういう訳だったか」
俺の耳に地鳴りのように野太い声が届き、その声の主が穴から顔を覗かした。
それはどこからどう見ても『異形の化物』以外の何者でもない。
「いかにも。我は貴様らのようなヒトの子などという下等な存在とは程遠い、高貴なモノ」
俺の心を読んだように喋りかけながら、そいつは穴を介してこちらの部屋へ踏み込んでくる。
「お前らヒトの子は我らの事をこう呼ぶ。鬼、とな」
その鬼はなおも喋ることを辞めず、俺との距離を詰めてくる
「我はヒトの子の中でも、生殖能力の強い、盛りざかりの若い男を喰らうのが好きでな。今日まで毎晩どいつが美味いか品定めをしておったのだ。お前は全く旨そうには見えないが、見られてしまった以上は始末するしかあるまい」
傍に立った鬼がセリフを言い終えるやいなや、俺の頭に凶器を叩き込んだ。
薄れゆく意識の中で、俺は強く後悔していた。己の好奇心に負けて、あの小さい穴を覗き込んでしまった事を――。(おわり)
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