第1章

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好奇心も膨らむ。だから、実情は親には内緒の遊び場筆頭格でもあった。ベトナム戦争や学生運動が終焉を迎え、何とも言えない虚脱感や停滞感が充満していたこの時代、ボクは独特の雰囲気を持つこの街で、仲間達と共に明るく元気に過ごしていった。  ドブ板通りにはネオンきらめくお店がひしめいていた時もあったが、その数も減り、当時いろいろなお店があった。ミリタリーショップ、ワッペンや刺繍の店、写真みたいな自画像を描いてくれる店、スカジャン屋、チャイナ服や色っぽいネグリジェを売る洋品店(スーベニアショップ)、アーミーナイフから包丁、ジッポを扱う金物屋、パーマ屋、大衆食堂、ビリヤード場、ウエスタンバー、家具屋、プラモデル屋、ライブハウス、コイン屋、魚屋、Tシャツ専門店、ゲームセンター、整形外科医院、延命地蔵尊、うなぎ屋。もちろん派手な化粧とネオンキラキラのバーも健在だった。  なかでもボクが、小学生当時よく通ったのは、延命地蔵尊とプラモデル屋。この地蔵尊のお地蔵さん達は、江戸時代にはもうこの辺りにはあり、今のドブ板通りの場所に移ってきたのは、関東大震災後の大正十二年。それまではボクの通っていた小学校の近くにあって、洞ノ口地蔵尊と呼ばれていた。多くの水子地蔵が祀られていたので、ボクらはここを水子地蔵と呼び、親と地蔵尊の前を通る度、お参りをさせられていた。祠のなかには数十体のお地蔵さんが並び、いつも線香の匂いが立ち込めていた。それが心地よく、意外とボクは気に入っていた。ちなみにボクはいまだに独身貴族。その後、ぱったりお参りに行かなくなったバチがあたったのかもしれない。  ドブ板通りの丁度真ん中辺りにあったプラモデル屋。そこへはある時期毎日のように通っていた。タミヤの戦争物のプラモデル作りがクラスで流行っていて、そこには商品も豊富にあり、完成したプラモデルの展示物が多く飾られていた。プラモデル作りの流行は断続的にあって、モーター付きの車、お城、ピストル等、それまでもいろいろ作ってきた。中でも最も熱中したのが、このタミヤの戦争物。ボクはドイツ戦車タイガー一台と、ドイツとアメリカの兵士数体を持っていた。プラモデルは作るだけでなく着色もする。兵士のヘルメットから肌の色、軍服の細かな所まで色彩を施す。完成したプラモデルを持ち寄り、教室や砂場等で周りにある物や自然の物を戦場に見立てて遊んでいた。
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